2026岡山旅行記1日目その33~最後に岡山城のおさらいをする~
15時50分、岡山城の本段と中の段をつなぐ不明門を出てきた。

来た道を戻ると、先ほどとは(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/521230635.html)、別の築城時の石垣展示があった。

そこで、ここでも降りてみることにした。

宇喜多秀家が築いた中の段の西辺石垣、である。
南側に石垣が無いのは城を改造するときに南側の石を抜いたからとのこと。
その石を新たに築かれた外側で現役の石垣に転用されたと考えられている。
石垣の本来の高さは10mほどあり、下の段から積まれている。
石は主に花崗岩で、加工を施さない自然石を横向きに積んでいる。
ここから金箔を押した桐の文様の瓦が出土した。
桐は豊臣秀吉が家紋として宇喜多秀家に与えられたものである。

雨で石が少し光っている?

こんな感じである。

他にも説明書きがあった。
ここ中の段では宇喜多秀偉家が築いた石垣のすべて覆い隠されるまで拡張工事が行われた。

岡山城本丸中の段の史跡整備である。
中の段には先ほど見た(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/521243053.html)、表書院が大半を占めている。

中の段の移り変わりである。
1597年以前と1630年以降では大きさが全く違い、別物のようになっている。

上がることにした。
このまま来た道を戻るかとなったが、同じ道を歩いても面白くない。

また、地図を見ると南の方から城を出る方が歩く距離も少なく見えた。

ということで、不明門に向かった。
そして、横手にある階段を降りて、下の段のやって来た。

振り返ってみた。
櫓に見えるのが不明門である。

あの坂道になっているのが降りてきた階段である。

目安橋の方に向かって歩いた。

お手洗いがあったがそのまま直進した。

備前焼工房があった。
先ほど備前焼作り体験の案内があったが、それがこちらで行うのだ。

石垣である。

こちらの石垣の方が年代は古いのか。

台形のようになっている。

天守閣と出入口の案内である。

先ほどよりも大きな石垣である。
向こうに橋が見えた。

端の手前にある岡山城案内である。

こうして地図を見ると旭川と掘りに囲まれているので堅固な守りが期待できる造りのように見える。
今まで見たように、岡山の地は宇喜多直家が本拠にしたことにより戦国の表舞台に登場した。
それまでのこの地のことを知りたいとは思うのだが。
その子である宇喜多秀家の時代に天守や高石垣を持つ近世城郭として巨大な姿を見せたのが1597年である。
1600関ヶ原の戦いで豊臣ファミリーでああることから西軍の主力として戦い、敗れて八丈島に流される。
その後、小早川秀秋が岡山藩主となり、跡継ぎがいなくて、池田家が藩主となっいぇ維新まで続いた
その岡山城も1945年の第二次世界大戦による空襲で焼失し、1966年に復元された。
最後におさらいをしたなあと思ったのである。
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そこで、ここでも降りてみることにした。
宇喜多秀家が築いた中の段の西辺石垣、である。
南側に石垣が無いのは城を改造するときに南側の石を抜いたからとのこと。
その石を新たに築かれた外側で現役の石垣に転用されたと考えられている。
石垣の本来の高さは10mほどあり、下の段から積まれている。
石は主に花崗岩で、加工を施さない自然石を横向きに積んでいる。
ここから金箔を押した桐の文様の瓦が出土した。
桐は豊臣秀吉が家紋として宇喜多秀家に与えられたものである。
雨で石が少し光っている?
こんな感じである。
他にも説明書きがあった。
ここ中の段では宇喜多秀偉家が築いた石垣のすべて覆い隠されるまで拡張工事が行われた。
岡山城本丸中の段の史跡整備である。
中の段には先ほど見た(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/521243053.html)、表書院が大半を占めている。
中の段の移り変わりである。
1597年以前と1630年以降では大きさが全く違い、別物のようになっている。
上がることにした。
このまま来た道を戻るかとなったが、同じ道を歩いても面白くない。
また、地図を見ると南の方から城を出る方が歩く距離も少なく見えた。
ということで、不明門に向かった。
そして、横手にある階段を降りて、下の段のやって来た。
振り返ってみた。
櫓に見えるのが不明門である。
あの坂道になっているのが降りてきた階段である。
目安橋の方に向かって歩いた。
お手洗いがあったがそのまま直進した。
備前焼工房があった。
先ほど備前焼作り体験の案内があったが、それがこちらで行うのだ。
石垣である。
こちらの石垣の方が年代は古いのか。
台形のようになっている。
天守閣と出入口の案内である。
先ほどよりも大きな石垣である。
向こうに橋が見えた。
端の手前にある岡山城案内である。
こうして地図を見ると旭川と掘りに囲まれているので堅固な守りが期待できる造りのように見える。
今まで見たように、岡山の地は宇喜多直家が本拠にしたことにより戦国の表舞台に登場した。
それまでのこの地のことを知りたいとは思うのだが。
その子である宇喜多秀家の時代に天守や高石垣を持つ近世城郭として巨大な姿を見せたのが1597年である。
1600関ヶ原の戦いで豊臣ファミリーでああることから西軍の主力として戦い、敗れて八丈島に流される。
その後、小早川秀秋が岡山藩主となり、跡継ぎがいなくて、池田家が藩主となっいぇ維新まで続いた
その岡山城も1945年の第二次世界大戦による空襲で焼失し、1966年に復元された。
最後におさらいをしたなあと思ったのである。
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