2026岡山旅行記1日目その32~当時の馬はサラブレッドではない~
15時30分、岡山城1階に来ていた。
1階は体験・記念撮影コーナー体感戦国絵巻である。

当時の馬の大きさを体感しよう!ある。
当時の馬は時代劇に出てくるような馬でもなく、サラブレッドでもない。
体高は低く、スピードも出ない。
しかしながら、かなりの力持ちだったそうだ。

これがその模型である。
確かに、小さいし、サラブレッドほど美しくはない。

せっかくなので、乗ってみることにした。

もちろん、模型だから乗りやすい。
これは年賀状に使えるなと思った。

岡山城と忍者、岡山藩の忍者の秘密を探ろうぞ!である。
忍者なんて、伊賀や甲賀、そして、江戸くらいしかおらず、岡山にいてるとは思わなかったが、どうも存在していたそうだ。
しかも、実名のほか住所や待遇までも記録されている珍しく貴重な資料が残されているとのことだ。
実名や住所まで記録されていては、もはや、忍者とは言えないのでは?とも思った。
伊賀や甲賀のそれとは少し違うのかな。

地下1階に降りてみることにした。

岡山城と忍者のカンケイである。
しかも、宇喜多の忍者、小早川の忍者と書かれている。

宇喜多直家が城を築くためにまっさきに行ったのは忍者を岡山に忍ばせることだったそうだ。
小早川秀秋が岡山城主になれたのも忍者の働きが大きかったとのこと。
池田家も忍者の逸話があるとのこと。

宇喜多の忍者は3名の活躍により念願の岡山の地を手に入れたそうだ。

関ヶ原の一見裏切りに見える行動の裏には10人の忍者の暗躍があったとのこと。

池田の忍者である。

ここ天守西側の塩蔵(食糧庫)は、天守の付櫓としては他に例のない存在で、焼失前の塩蔵2階は天守1階へ通じており、天守の唯一の入口になっていたとのこと。
ここでお手洗いに行った。

備前焼工房、である。
岡山藩は現在の備前市伊部で行われた備前焼の清算を重要な地場産業としていた。
池田光政は半の負担で燃料や原料を陶工に支給していた。
岡山城下での備前焼の販売は旭川の東にある上片上町、下片上町の商人に独占を与えていた。
備前焼作り体験の案内もあった。
その場所が赤丸で囲まれた場所にあり、天守からも近くにあるようだ。

下には実業家の木村氏の備前焼コレクションが展示されていた。
1984年に岡山市に寄贈されたものである。
有田焼とは全然違う。

こちらはお土産屋さんである。
ここで岡山城のクリアファイルを購入した。

15時46分、岡山城を出ることにした。

まだ雨は降っていた。

出て来て、再び、天守を見上げてみることにした。

こちらが先ほど見た塩蔵(食糧庫)である。ここの2階が天守の1階に通じている。

本丸の本段を歩いた。

自動販売機も黒色で烏城とマッチさせている。

不明門の前までやって来た。

立派な門である。
もっとも、1966年に復元された、その後、平成、令和と改修されているのだが。
来た道を戻ったのである。
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当時の馬は時代劇に出てくるような馬でもなく、サラブレッドでもない。
体高は低く、スピードも出ない。
しかしながら、かなりの力持ちだったそうだ。
これがその模型である。
確かに、小さいし、サラブレッドほど美しくはない。
せっかくなので、乗ってみることにした。
もちろん、模型だから乗りやすい。
これは年賀状に使えるなと思った。
岡山城と忍者、岡山藩の忍者の秘密を探ろうぞ!である。
忍者なんて、伊賀や甲賀、そして、江戸くらいしかおらず、岡山にいてるとは思わなかったが、どうも存在していたそうだ。
しかも、実名のほか住所や待遇までも記録されている珍しく貴重な資料が残されているとのことだ。
実名や住所まで記録されていては、もはや、忍者とは言えないのでは?とも思った。
伊賀や甲賀のそれとは少し違うのかな。
地下1階に降りてみることにした。
岡山城と忍者のカンケイである。
しかも、宇喜多の忍者、小早川の忍者と書かれている。
宇喜多直家が城を築くためにまっさきに行ったのは忍者を岡山に忍ばせることだったそうだ。
小早川秀秋が岡山城主になれたのも忍者の働きが大きかったとのこと。
池田家も忍者の逸話があるとのこと。
宇喜多の忍者は3名の活躍により念願の岡山の地を手に入れたそうだ。
関ヶ原の一見裏切りに見える行動の裏には10人の忍者の暗躍があったとのこと。
池田の忍者である。
ここ天守西側の塩蔵(食糧庫)は、天守の付櫓としては他に例のない存在で、焼失前の塩蔵2階は天守1階へ通じており、天守の唯一の入口になっていたとのこと。
ここでお手洗いに行った。
備前焼工房、である。
岡山藩は現在の備前市伊部で行われた備前焼の清算を重要な地場産業としていた。
池田光政は半の負担で燃料や原料を陶工に支給していた。
岡山城下での備前焼の販売は旭川の東にある上片上町、下片上町の商人に独占を与えていた。
備前焼作り体験の案内もあった。
その場所が赤丸で囲まれた場所にあり、天守からも近くにあるようだ。
下には実業家の木村氏の備前焼コレクションが展示されていた。
1984年に岡山市に寄贈されたものである。
有田焼とは全然違う。
こちらはお土産屋さんである。
ここで岡山城のクリアファイルを購入した。
15時46分、岡山城を出ることにした。
まだ雨は降っていた。
出て来て、再び、天守を見上げてみることにした。
こちらが先ほど見た塩蔵(食糧庫)である。ここの2階が天守の1階に通じている。
本丸の本段を歩いた。
自動販売機も黒色で烏城とマッチさせている。
不明門の前までやって来た。
立派な門である。
もっとも、1966年に復元された、その後、平成、令和と改修されているのだが。
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この記事へのコメント
忍者の住所録つきの名簿だなんて、最重要機密ですよね。。
きっと、毛利側が放ったスパムメールに騙されて、
まんまと本人確認事項を書き込んじゃったのでしょうか。修学旅行の際、備前焼の湯のみを買ったのですが、
どこかにいってしまいました。。
備前焼は経年による変色がウリだそうですので、確認できないのが無念です。。
毛利側のスパムは大いにあるかも。
昔から悪知恵が働く者もいるし、騙す者と騙される者の存在は必須ですからね。