2026岡山旅行記1日目その30~重いことは知っていたが予想以上に重い~
15時16分、岡山城の1階に降りてきた。
1階は体験・記念撮影コーナーである。

しかしながら、階段を下りて直ぐに岡山を極めた池田光政公、の説明書きがあった。

宇喜多直家公にはじまり、池田光政公が極めた岡山のまちづくり、である。

池田光政は1609年に岡山城で誕生し、1616年姫路城主を継いだ。
1617年に鳥取へ国替えとなり、1632年に備前へ国替えとなり、1682年に死去した。

徳川光圀、保科正之と共に江戸時代初期の三明君の一人と云われた。

岡山のはじまり宇喜多直家公、である。
1529年に誕生し、1570年に岡山城(石山の城)の金光宗高を謀殺し、岡山に入った。
1582年に岡山城(石山の城)で死去した。

松永久秀、斎藤道三と共に戦国時代の三梟雄の一人と云われている。
梟雄とは謀略を用い猛々しい人という意味である(主に悪い人に使う言葉)。
もっとも、そう呼ばれるのは江戸時代の初めに刊行された書物による
そういえば、20年以上前にプレイステーションの信長の野望というゲームをした際、松永久秀は必ずと言っていいほど、宇喜多直家もまあまあの確率で裏切っていた。
今なら小早川秀秋の方が梟雄なのか、いや、最近の研究では当初から徳川方と云われているだけに、それも違うか。

休憩コーナーがあった。

疲れたから、少し座った。

すると、目の前に、おしえて!イソダ先生、という映像が流れていた。
そう、こちらの方が岡山市出身の歴史学者で、この岡山城の展示の監修を務めている磯田道史氏だ。
私も以前からテレビで顔を見たことがある。
もっとも、後日、BSの番組で一番好きなお城は姫路城と語っていた(が苦笑)。
その内容が展示もされていた。

どうして武士がいなくなったの?という質問とその回答である。

ザックリ言うと、火縄銃が登場し、その後、西洋銃で農民でも兵士に成りえ、徴兵制によって男子はみんな兵士になりうることから、武士の存在価値が無くなったとのことだ。

火縄銃とライフルってどこがどう違うの?である。
対ライフルでは鎧が役に立たないことから鎧を着けないのが正解で、ライフル銃が武士を消滅させたそうだ。

お殿様はどんな顔をしているの?である。

AIの技術でモノクロ写真からカラー化で蘇らせたものである。
殿様顔というのがあるらしく、庶民ほど硬い物を食べないことからアゴが細くなり長い顔が増えたそうだ。ホンマかいなと思った。

確かに、言われていれば、面長である。

戦国時代の馬ってどんな馬だったの?である。
サラブレッドは存在せず、小型馬のポニーだったそうだ。
時代劇の番組に出てくるウマは嘘である。

戦国時代に活躍した女性はいないの?である。
戦国時代にも柳川城の立花ギン千代など女城主や女性武将として活躍した人たちはいたそうだ。

1階はこんな感じだ。

刀が2本置いてあった。

戦場ではメインの武器になれなかったけれど、それでも携えていたのは首取りのためとのことである。有名な武将を取った証拠を持ち帰るためである。
私が顔写真をブログに乗せて実際にその場所に行っていることを示すのと同じ原理か。

持つことができるので、持ってみた。
重いということは知ってはいたが、予想よりも重たかったのである。
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1階は体験・記念撮影コーナーである。
しかしながら、階段を下りて直ぐに岡山を極めた池田光政公、の説明書きがあった。
宇喜多直家公にはじまり、池田光政公が極めた岡山のまちづくり、である。
池田光政は1609年に岡山城で誕生し、1616年姫路城主を継いだ。
1617年に鳥取へ国替えとなり、1632年に備前へ国替えとなり、1682年に死去した。
徳川光圀、保科正之と共に江戸時代初期の三明君の一人と云われた。
岡山のはじまり宇喜多直家公、である。
1529年に誕生し、1570年に岡山城(石山の城)の金光宗高を謀殺し、岡山に入った。
1582年に岡山城(石山の城)で死去した。
松永久秀、斎藤道三と共に戦国時代の三梟雄の一人と云われている。
梟雄とは謀略を用い猛々しい人という意味である(主に悪い人に使う言葉)。
もっとも、そう呼ばれるのは江戸時代の初めに刊行された書物による
そういえば、20年以上前にプレイステーションの信長の野望というゲームをした際、松永久秀は必ずと言っていいほど、宇喜多直家もまあまあの確率で裏切っていた。
今なら小早川秀秋の方が梟雄なのか、いや、最近の研究では当初から徳川方と云われているだけに、それも違うか。
休憩コーナーがあった。
疲れたから、少し座った。
すると、目の前に、おしえて!イソダ先生、という映像が流れていた。
そう、こちらの方が岡山市出身の歴史学者で、この岡山城の展示の監修を務めている磯田道史氏だ。
私も以前からテレビで顔を見たことがある。
もっとも、後日、BSの番組で一番好きなお城は姫路城と語っていた(が苦笑)。
その内容が展示もされていた。
どうして武士がいなくなったの?という質問とその回答である。
ザックリ言うと、火縄銃が登場し、その後、西洋銃で農民でも兵士に成りえ、徴兵制によって男子はみんな兵士になりうることから、武士の存在価値が無くなったとのことだ。
火縄銃とライフルってどこがどう違うの?である。
対ライフルでは鎧が役に立たないことから鎧を着けないのが正解で、ライフル銃が武士を消滅させたそうだ。
お殿様はどんな顔をしているの?である。
AIの技術でモノクロ写真からカラー化で蘇らせたものである。
殿様顔というのがあるらしく、庶民ほど硬い物を食べないことからアゴが細くなり長い顔が増えたそうだ。ホンマかいなと思った。
確かに、言われていれば、面長である。
戦国時代の馬ってどんな馬だったの?である。
サラブレッドは存在せず、小型馬のポニーだったそうだ。
時代劇の番組に出てくるウマは嘘である。
戦国時代に活躍した女性はいないの?である。
戦国時代にも柳川城の立花ギン千代など女城主や女性武将として活躍した人たちはいたそうだ。
1階はこんな感じだ。
刀が2本置いてあった。
戦場ではメインの武器になれなかったけれど、それでも携えていたのは首取りのためとのことである。有名な武将を取った証拠を持ち帰るためである。
私が顔写真をブログに乗せて実際にその場所に行っていることを示すのと同じ原理か。
持つことができるので、持ってみた。
重いということは知ってはいたが、予想よりも重たかったのである。
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この記事へのコメント
この刀の試し持ち(?)のコーナー、ステキですね!
ぜひぜひ、実際に重さを経験してみたいです。
説明書きを見ると、およそ1kgとありますから、
野球の木製バットと同じぐらいだと思いますが。
片手で持つとやっぱり重いですよ。
いや、意外と軽いと思えば願いが叶うのかな。
京都にそんな石がありますが。