2026岡山旅行記1日目その17~こんな所からまさかアレが発掘されるなんて~|
14時12分、岡山城の廊下門の上の方に来ていた。
ここから東の方を見ると岡山城が少し見えた。
反対の西側を見ると重要文化財岡山城月見櫓と書かれた看板があった。
行ってみることにした。
こちらが重要文化財である月見櫓である。
月見櫓は岡山城本丸を構成する一二三の段の二段目に当たる、中の段北西角を固める隅櫓である。
廊下門の下の辺りが下の段で、今いる所が中の段、天守があるのが本段である。
池田忠雄が城主であった時の城郭整備に伴って、元和年間から寛永年間前半(1620年代)に建てられたものである。
そう、先ほどの石垣と同じである。
構造は、一部地下付きの塗籠造り本瓦葺き1階建てで、城外北西側から眺めると二層の望楼型、城内南東側から見ると三層である層塔型を呈しているとのことだ。
月見櫓の絵である。
月見櫓の前にやって来た。
確かに、城内のここから見ると3層に見える。
入口が左に見えるけど扉は閉まっていて中に入れない。
先を進むことにした。
左奥に見えるのが不明門である。
左手(東側)を見ると岡山城天守が見えた。
不明門の方に進むとこのように下に石垣があった。
せっかくなので、降りてみることにした。
近くで見ると石垣はこんな感じだ。
発掘調査で発見された石垣の実物である。
こちらの石垣は宇喜多秀家が築城し、1597年(慶長2年)に完成した当時の岡山城の石垣である。
その後、江戸時代になり、進歩した城普請の技法で増改築行い、城構が大きく変貌した。その結果、石垣が埋め込まれたものである。
さらに、この石垣を埋め込んで中の段を北に大きく広げた。
それが1993年度(平成5年度)の発掘調査で見つかったのだ。
場所を移動した。エッジが鋭角だ。
説明書きにもある通り、これが過度の尖った珍しい石垣である。
上がって来た。
西側の景色である。
好きを進もうとしたら地面に竈と書かれている。
近くを見ると表書院と書かれていた。
中の段のこの場所に藩政の場である表書院があった。
ここと天守をつなぐのが先ほど見た廊下門である。
表書院は大小60を超える部屋があり、発掘調査で色々と明らかになった。
登場した家臣たちは、鉄門跡の方にある南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれの部屋で働いていた。
その場所の説明が書かれているのである。
また泉水のある中には数寄屋(茶屋)が建っていて、北東部には台所があり、藩主の食事や儀式用の料理を作っていたそうだ。
この場所はかつて八百屋(野菜置き場)であった。
こちらは料理所(御前くど)であった。
こちらは台所であった。
こんな感じで区切られている。
ここで、雨が降って来た。
親しい友人は「雨が降ってきたで、早くお城に入ろう」と言ったが、この辺りはブログの記事になると思い、「ちょっと、傘を差して待ってて」と言って写真を撮り続けることにした。
こちらは長囲炉裏の間であった。
こちらは囲炉裏であった。
こちらは中奥詰所であった。
よくここまで分かったな。
発掘の力は馬鹿にならないなと思ったのである。
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この記事へのコメント
部屋割りは、残された間取り図のようなモノを参考にし、
ソコの発掘状態で確定していったんでしょうね。
それを実際の敷地で確認できるなんて、ステキな工夫だと思います。
吉野ケ里の「酒造りの家」みたいな考古学者の想像とは、ちょっと違いますよ。
吉野ヶ里は古すぎてどこまでどうなのか?