2025静岡旅行記9日目その4~親しい友人は私に、私はスマホの地図に騙されている?~
11時13分、吉原駅から富士と港が見える公園に向かって港沿いを歩いていた。
こちらは田子の浦漁港というよりも海沿いの工場沿いのような風景で、田子の浦漁港はこの奥の方にある。
歩いていると坂道があった。
ここを登れば、富士と港が見える公園かなと思い、ただ、違う可能性もあるので私が斥候として登ってみた。
すると、駐車場だった。
その上が公園のようだが、駐車場から公園に向かう道が無いように見えたので降りることにした。
親しい友人に「暑い、暑い、まだか、私はあなたに騙されているのでは?」と言われながら、道を進んだ。
確かに、遠回りしている感じはしていた。
私もスマホに騙されているのではと思ったが、今さら出発地点の駅まで戻れない。
先を進むしかない。
ぐるっと道は曲がった。
工場みたいな建物が見えた
右手に石油タンクのようなものが見えた。
この先には昭和礦油さんがあるようだ。
ぐるっと回ると社が見えた。
社に向かって歩いた。
小川と橋が見えた。綺麗だったので、最近できたものなのだろうと思った。
鳥居を見るとは阿宇神社里宮と書かれていた。
里宮とは山上の奥宮に対して山麓の村里にある社殿をいう。
ということは、奥宮は富士山にでもあるのかなと思った。
すると、この富士と港が見える公園内にあるとのことだ。
だったら、ここに里宮を作る必要があったのか?と思ったりする。
橋を越えて、社に向かった。
ここでも旅の無事を祈願したのだが、お賽銭を入れる所が見つからなかったので入れなかった。
横手の道を歩いた。
そして、左に曲がった。
こんな感じで道があった。
奥に見える白い建物は仏舎利塔である。
大きな木があった。
こちらは富士と港が見える公園展望台の完成記念樹である。
1985年(昭和60年)、富士市元吉原少年野球団が東京都伊豆大島神前野球大会に出場して以来、双方が交流を重ね、2018年(平成30年)展望台の完成を祝して、東京都の大島町からこの伊豆大島産の椿の木が寄贈された。
少し南側に歩いた。
右手に展望台が見えた。
こちらがその展望台である。
近くに見付と(元)吉原宿の説明書きがあった。
鎌倉時代のはじめころ、ここ吉原湊に見付が構えられ、南北朝から戦国時代になると道者商人問屋も置かれ、宿場、港町としての機能を持つようになった。
しかし、湊からの高浪や砂丘からの漂砂の貝がひどく天文年間(1532~1554年)に鈴川・今井地区へ所替えし、吉原と改名された。
1606年(慶長6年)に徳川家康によって東海道駅伝制が敷かれ、吉原宿として指定された、
もっとも、1639年(寛永16年)に依田橋村西方に所替えになったとのことだ。
奥には石碑みたいなものがあったので行ってみた。
石水門と刻まれていた。
また富士山の絵が刻まれていた。
展望台に上ってみることにしたのである。
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この記事へのコメント
いよいよ、、一打逆転のラストチャンス。。。
写真の中の雲の量が気になりますが、、、
どきどき。。。。
前日の雨のせいか天気がすぐれないのですが・・・。
どうなるのか?
乞うご期待ください!