2025静岡旅行記2日目その5~強風で折り畳み傘が壊れる~
10時52分、弁天島駅から湖岸を東に歩き、弁天橋を渡って舞阪宿の常夜燈を越えた。

この道は旧東海道である。
この道をさらに東に歩こうとした。
しかしながら、小雨から雨が少し強くなると共に、風も強くなった。
そこで、戻ることにした。

再び、常夜燈を見た。

そして、弁天橋を渡ることにした。

再び、北側を見た。

おお、風が強い。傘が持っていかれそうだ。
すると、傘の骨が何本も折れて使えなくなった。
ガーン。旅行2日目で折りたたみ傘が壊れるというアクシデントだ。

橋を渡り終えると田畑家の弁天島別荘跡の看板があった。

大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人田畑政治ゆかりの地とのことだ。
明治の中頃になると海水浴が病気の治療に効果があるとされ中億を浴び、
1889年に唐街道鉄道が全線開通すると浜松の資産家が弁天島に別荘を持つようになり、田畑家も弁天島のたもとに別荘を造ったそうだ。
まあ、私はいだてんを見ていなかったので、何の感情移入もできなかったが。

こちらも別荘なのだろう。

海岸から見えたホテルである。

玄関は開いていたので営業はされている。

斜め前にくらいにサムギョプサルのお店があった。
お昼ご飯を食べるには早すぎる。
だから、お店も開いていない。

少し進むと鳥居があり神社があった。
弁天神社という。

横手には弁天島と天女の説明書きがあった。
弁天島の美しさに天女が舞い降りてきて、村人は喜び社を作るからこの地に留まって欲しいとお願いをしたものの三保の松原へと立ち去っていった。
その後、弁天は災害で湖に取り残されて島になった。
舞阪と新居の間は渡し船で行き来するようになり、航海の安全のために1709年(宝永6年)に弁天神社が建てられたとのことだ。
鳥居をくぐって中に入った。

右手に見えるのが拝殿か。白い建物は社務所だろう。

左手には手水舎があった。

拝殿の手前の松の木には縄が締め付けられていた。
神木のようだ。

上を見上げた。
中々、高い木のようだ。

拝殿に行かずに奥へと向かった。

左手の石碑を見た。

正岡子規句碑である。
天の川 濱名の橋の 十文字
という句で、1895年(明治28年)の秋、状況の際に貴社の車窓より浜名湖を眺めて読んだと作品だそうだ。

しかし、何と書いてあるのか読めない。

右は松島十湖の句碑である。
月や風や 夏しら並の 海と湖
という句で、1908年(明治41年)の作品である。

こちらも何と書いてあるのか読めない。

拝殿に行くことにした。

社務所の入口には注連縄がなされていた。

拝殿に来た。

古札納箱があった。

鈴を軽く鳴らして、ついさっき、折り畳みの傘が強風のせいで壊れたとはいえ、旅の無事を祈願したのである。
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この道は旧東海道である。
この道をさらに東に歩こうとした。
しかしながら、小雨から雨が少し強くなると共に、風も強くなった。
そこで、戻ることにした。
再び、常夜燈を見た。
そして、弁天橋を渡ることにした。
再び、北側を見た。
おお、風が強い。傘が持っていかれそうだ。
すると、傘の骨が何本も折れて使えなくなった。
ガーン。旅行2日目で折りたたみ傘が壊れるというアクシデントだ。
橋を渡り終えると田畑家の弁天島別荘跡の看板があった。
大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人田畑政治ゆかりの地とのことだ。
明治の中頃になると海水浴が病気の治療に効果があるとされ中億を浴び、
1889年に唐街道鉄道が全線開通すると浜松の資産家が弁天島に別荘を持つようになり、田畑家も弁天島のたもとに別荘を造ったそうだ。
まあ、私はいだてんを見ていなかったので、何の感情移入もできなかったが。
こちらも別荘なのだろう。
海岸から見えたホテルである。
玄関は開いていたので営業はされている。
斜め前にくらいにサムギョプサルのお店があった。
お昼ご飯を食べるには早すぎる。
だから、お店も開いていない。
少し進むと鳥居があり神社があった。
弁天神社という。
横手には弁天島と天女の説明書きがあった。
弁天島の美しさに天女が舞い降りてきて、村人は喜び社を作るからこの地に留まって欲しいとお願いをしたものの三保の松原へと立ち去っていった。
その後、弁天は災害で湖に取り残されて島になった。
舞阪と新居の間は渡し船で行き来するようになり、航海の安全のために1709年(宝永6年)に弁天神社が建てられたとのことだ。
鳥居をくぐって中に入った。
右手に見えるのが拝殿か。白い建物は社務所だろう。
左手には手水舎があった。
拝殿の手前の松の木には縄が締め付けられていた。
神木のようだ。
上を見上げた。
中々、高い木のようだ。
拝殿に行かずに奥へと向かった。
左手の石碑を見た。
正岡子規句碑である。
天の川 濱名の橋の 十文字
という句で、1895年(明治28年)の秋、状況の際に貴社の車窓より浜名湖を眺めて読んだと作品だそうだ。
しかし、何と書いてあるのか読めない。
右は松島十湖の句碑である。
月や風や 夏しら並の 海と湖
という句で、1908年(明治41年)の作品である。
こちらも何と書いてあるのか読めない。
拝殿に行くことにした。
社務所の入口には注連縄がなされていた。
拝殿に来た。
古札納箱があった。
鈴を軽く鳴らして、ついさっき、折り畳みの傘が強風のせいで壊れたとはいえ、旅の無事を祈願したのである。
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