2025静岡旅行記1日目その14~天守閣からの見晴らしは3階だから・・・~
14時27分、浜松城天守閣の3階に来ていた。
3階は展望台である。

西側の風景の説明図である。八幡台と呼ばれる突出した櫓台がある。

見てみた。う~ん。

倍率を上げた。
特にこれといったものはない。

北側は谷が入り組んだ地形がみられ、そのひとつに犀ヶ崖がある。

どの辺がその犀ヶ崖かはよく分からなかった。

でも、写真が展示されていた。
高い塔は電波塔だろうか。

北西側を見た。上に鐘があるような建物は浜松中部学園という学校である。

北東側を見た。クリーム色の高い建物は先ほども見た()ホテルコンコルド浜松である。

東側に来た。ここには中世の引間宿や浜松城の前身である引間城があった。

その引間城は現在の元城町東照宮の所にあった。
また、鉄門と菱櫓もあったようだ。

左端に見える木々の所が引間城跡か。

北東側を見た。右奥の木々の辺りが引間城跡だろう。

下を見ると天守門が見えた。

南東の方を見た。浜松市役所とアクトタワーが見えた。
まあ、3階建ての天守閣だから、そんなに見晴らしが良いわけではない。

市役所をアップにした。
休日出勤をしている職員がいているか否かははっきりと分からなかった。

南側にやって来た。
遠くに太平洋が見えるようだ。

また、城の南端には大手門が設けられ、南が正面として整備され、東海道は大手門から南と東に設定されたようだ。

天気がイマイチなので太平洋は見えなかった。
正面には学校が見える。浜松開誠館中学校・高等学校である。

1周をしてきたので降りることにした。

その前に天井を見るとこんな感じだ。
階段を降りることにした。

3階から見る2階である。
再度、2階を見ることにした。

「新時代のシンボルとして」である。
明治時代には異常となった浜松城は場内の建物や土地が民間に払い下げとなった。
しかし、その後、1958年(昭和33年)には復興天守閣が建築され、2014年(平成26年)には天守門が再建された。

「都市の顔としての浜松城」である。

こちらは天守曲輪の出土品である。

こちらは復興天守閣の建築関連のものである。

天井から掛けられた垂れ幕である。いつの時代の浜松城だろうか。復興天守閣の再建前だろうか。

こちらも昔の絵図だ。
もっとも、汽車が走っているから、江戸時代なんてことはない。
大正から昭和にかけてなのだろうか。

建築中の復興天守閣の写真だ。
特に1957年(昭和32年)、静岡県を会場に国民体育大会が開かれることになり、浜松市では水泳などの競技がよていされので、復興天守閣の建設もそれに間に合うように進められた。
しかしながら、工事が難航し、間に合わず、完成したのは翌年だった。
ダメじゃん、と思ったのである。
行政書士中村裕司法務事務所ホームページ
本日はこの後、1時からもう1本ブログ
けー坊~れんこん肉詰めの香りが良いのは・・・~
をアップします。
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3階は展望台である。
西側の風景の説明図である。八幡台と呼ばれる突出した櫓台がある。
見てみた。う~ん。
倍率を上げた。
特にこれといったものはない。
北側は谷が入り組んだ地形がみられ、そのひとつに犀ヶ崖がある。
どの辺がその犀ヶ崖かはよく分からなかった。
でも、写真が展示されていた。
高い塔は電波塔だろうか。
北西側を見た。上に鐘があるような建物は浜松中部学園という学校である。
北東側を見た。クリーム色の高い建物は先ほども見た()ホテルコンコルド浜松である。
東側に来た。ここには中世の引間宿や浜松城の前身である引間城があった。
その引間城は現在の元城町東照宮の所にあった。
また、鉄門と菱櫓もあったようだ。
左端に見える木々の所が引間城跡か。
北東側を見た。右奥の木々の辺りが引間城跡だろう。
下を見ると天守門が見えた。
南東の方を見た。浜松市役所とアクトタワーが見えた。
まあ、3階建ての天守閣だから、そんなに見晴らしが良いわけではない。
市役所をアップにした。
休日出勤をしている職員がいているか否かははっきりと分からなかった。
南側にやって来た。
遠くに太平洋が見えるようだ。
また、城の南端には大手門が設けられ、南が正面として整備され、東海道は大手門から南と東に設定されたようだ。
天気がイマイチなので太平洋は見えなかった。
正面には学校が見える。浜松開誠館中学校・高等学校である。
1周をしてきたので降りることにした。
その前に天井を見るとこんな感じだ。
階段を降りることにした。
3階から見る2階である。
再度、2階を見ることにした。
「新時代のシンボルとして」である。
明治時代には異常となった浜松城は場内の建物や土地が民間に払い下げとなった。
しかし、その後、1958年(昭和33年)には復興天守閣が建築され、2014年(平成26年)には天守門が再建された。
「都市の顔としての浜松城」である。
こちらは天守曲輪の出土品である。
こちらは復興天守閣の建築関連のものである。
天井から掛けられた垂れ幕である。いつの時代の浜松城だろうか。復興天守閣の再建前だろうか。
こちらも昔の絵図だ。
もっとも、汽車が走っているから、江戸時代なんてことはない。
大正から昭和にかけてなのだろうか。
建築中の復興天守閣の写真だ。
特に1957年(昭和32年)、静岡県を会場に国民体育大会が開かれることになり、浜松市では水泳などの競技がよていされので、復興天守閣の建設もそれに間に合うように進められた。
しかしながら、工事が難航し、間に合わず、完成したのは翌年だった。
ダメじゃん、と思ったのである。
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