2025静岡旅行記1日目その9~餃子パワーで坂道を登りきる~
13時42分、浜松城の天守閣前に来ていた。
こちらには何かの説明書きが展示されていた。
近づいて見てみた。
浜松城の変遷である。
浜松城の前身は15世紀頃に築かれた引間城で、16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていた。
1570年(元亀元年)、今川氏の滅亡により、徳川家康が三河の岡崎城から浜松に移り、引間城から浜松城に改称されたとのことである。
ああ、今川義元かと思い出した。
1590年(天正18年)、小田原合戦後、豊臣秀吉によって家康は関東に移封され、その後、堀尾吉晴が浜松城の城主になった。
そして、豊臣氏の権威を示すために当時の最新技術を用いた城郭に造り変えた。
現在の残る石垣はこの時のものと考えられている。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いに家康が勝利すると以後、徳川譜代の大名が治める城となり、行政施設としての体裁が整えられた。
家康在城期の浜松城の年表である。
1570年(元亀元年)から1586年(天正14年)の29歳から45歳までいてた。
遠江をめぐる武田氏との戦いの図である。
家康在城時の浜松城のイメージ図である。
現在の奥の駐車場辺りが引間城のようだ。
発掘調査により江戸時代の絵図に描かれていなかった空堀が発見された。
その写真などである。考古学研究は必要だし、そう思うと大学のクラブでも考古学研究会があったが、そういうクラブの必要なんだと思った。
本丸南の空堀の説明書きである。
石垣の方にやって来た。
新たに発見された石垣の説明書きである。上の方と下の方で積み方が違うようだ。
確かに、上と下の方で石の感じも違うし、積み方が違うような感じもする。
浜松城公園案内図があった。天守閣・天守門よりも奥が広い。
上に登ることにした。
周りながら登るようだ。
餃子パワーで坂道を登った。
登り終えると浜松城本丸跡の石碑があった。
欧には数化に銅像が見える。
もちろん、銅像は・・・。
近づいて見てみた。
若き日の徳川家康公の銅像である。
横手に木があった。
坂道を登った。
向こうに見えるのが浜松市役所である。
途中、サザンカが植えられていた。
こんな感じの階段を登った。
この石垣は約400年前の築城の頃の面影を残す貴重な石垣とのことだ。
天守門が見えた。
門はこんな感じだ。近すぎて上手く撮れない。
すぐに天守門をくぐらずに奥に行ってみた。上に赤い鳥居が見えた。
門脇の鏡石の説明書きである。
天守門の石垣正面は左右共に隅に巨石が用いられ、この巨石を鏡石と呼ぶとのこと。
城の壮大さや城主の権威を見せるために意図的に置いたと云われていて、彦根城や岡山城、松本城太鼓門の石垣などに類例があるそうだ。
松本城の太鼓門に入ったことがあるが(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/505230914.html)、覚えていない。
これらの石ではないようだ。
天守門の横に大きな石がある。あれがそうなのであろうかと思ったのである。
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