2025大分旅行記2日目その4~ボンネットバスを見て昭和を感じる~
10時38分、昭和の町豊後高田にやって来た。

目の前の駅通り商店街を歩くことにした。
もっとも、近鉄長瀬駅下車すぐの近畿大学へと続くまなびや通り、通称、親不孝通りと大して変わらない気がした。

右手に昭和の匂いがする大衆食堂があった。

出前自転車の写真があった。

昭和55年より値上げしていないとのことだ。
だから、ちゃんぽん、たかな焼きめし、カレーライスが350円という破格の値段だ。
そりゃテレビにも出るわなと思った。

左手には鮮魚店があった。私が子供の頃でもこういった佇まいは近くに無かったし、千林商店街にもなかったな。

それもそのはずで、創業は1952年(昭和27年)だが、建物の建築は1916年(大正5年)である。
しかも、氷で冷やす冷蔵庫である。

ボンネットのバスが入っていた。観光バスのようだ。
ああ、昭和の町だなと実感をした。

こちらは雑貨屋さんのようだ。建物も古そうだ。昭和初期の建築だろうか。

和洋菓子店さんである。モンブランという名前が昭和である。今どき、ないしは平成なら、もっと難しいカタカナの名前であろう。

こちらは温泉座という化粧品店である。

別府の温泉研究を行っている化粧品会社の商品が売られているそうだ。

こちらはカフェ・バー、ブルヴァールである。昭和の学校給食あげぱんが売られている。
親しい友人は「懐かしいなあ、給食で揚げパンをよく食べていたなあ」と言ってきた。
しかし、親しい友人も私も小学校時代は昭和であり、学校給食もあったが、私の小学校時代の給食には揚げパンは出ていなかった。


揚げパン自体は小学校時代に食べたことがあるが、それは自宅近くの若林パンで買って食べていたのであって、学校給食ではない。
そのことを親しい友人に言うと驚いていた。

尾鶴ラジオ電機商会である。ラジオということはテレビが出る前から営業されている電機屋さんだろう。
でも、なぜか軒先で漬物が売られている。

酒屋さんである。「お酒を見に入るか」と親しい友人に聞くと「ええわ、先を見て歩こう」と返され、そのまま歩くことにした。

ガイドブックの地図を見ながら歩いた。

少し歩いて、突き当りにやって来た。

角の所に、昔ながらの地図があった。右手に曲がればお店がたくさんあるので曲がれば良いのだろう。

その上の地図である。ちょっと読みにくいが周りにもお店がたくさんあることだけは分かる。

振り返って、来た道を見た。
まだ10時台だから観光客が少ないのか、それともこんなものなのだろうか。

商店街のアーケードを右手に曲がった。

右手の鮮魚店は営業をしている雰囲気がない。
アーケードをくぐった。

テント工場があった。高田のたかは、いわゆる、はしごだか、である。この仕事をしているとこういう名前には敏感でなければならない。

森川豊国堂である。カステラ、アイスキャンディ―、ミルクセーキと書かれている。お菓子屋さんである。
ミルクセーキといえば、昨年の長崎・佐賀・福岡旅行で、長崎セーキというアイスクリームを買った(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/511325566.html)。
アレの飲む版かと思ったのである。
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本日はこの後、1時からもう1本ブログ
別府冷麺~ひょっとしたら麺よりもスープの方が秀逸なのかも~
をアップします。
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目の前の駅通り商店街を歩くことにした。
もっとも、近鉄長瀬駅下車すぐの近畿大学へと続くまなびや通り、通称、親不孝通りと大して変わらない気がした。
右手に昭和の匂いがする大衆食堂があった。
出前自転車の写真があった。
昭和55年より値上げしていないとのことだ。
だから、ちゃんぽん、たかな焼きめし、カレーライスが350円という破格の値段だ。
そりゃテレビにも出るわなと思った。
左手には鮮魚店があった。私が子供の頃でもこういった佇まいは近くに無かったし、千林商店街にもなかったな。
それもそのはずで、創業は1952年(昭和27年)だが、建物の建築は1916年(大正5年)である。
しかも、氷で冷やす冷蔵庫である。
ボンネットのバスが入っていた。観光バスのようだ。
ああ、昭和の町だなと実感をした。
こちらは雑貨屋さんのようだ。建物も古そうだ。昭和初期の建築だろうか。
和洋菓子店さんである。モンブランという名前が昭和である。今どき、ないしは平成なら、もっと難しいカタカナの名前であろう。
こちらは温泉座という化粧品店である。
別府の温泉研究を行っている化粧品会社の商品が売られているそうだ。
こちらはカフェ・バー、ブルヴァールである。昭和の学校給食あげぱんが売られている。
親しい友人は「懐かしいなあ、給食で揚げパンをよく食べていたなあ」と言ってきた。
しかし、親しい友人も私も小学校時代は昭和であり、学校給食もあったが、私の小学校時代の給食には揚げパンは出ていなかった。
揚げパン自体は小学校時代に食べたことがあるが、それは自宅近くの若林パンで買って食べていたのであって、学校給食ではない。
そのことを親しい友人に言うと驚いていた。
尾鶴ラジオ電機商会である。ラジオということはテレビが出る前から営業されている電機屋さんだろう。
でも、なぜか軒先で漬物が売られている。
酒屋さんである。「お酒を見に入るか」と親しい友人に聞くと「ええわ、先を見て歩こう」と返され、そのまま歩くことにした。
ガイドブックの地図を見ながら歩いた。
少し歩いて、突き当りにやって来た。
角の所に、昔ながらの地図があった。右手に曲がればお店がたくさんあるので曲がれば良いのだろう。
その上の地図である。ちょっと読みにくいが周りにもお店がたくさんあることだけは分かる。
振り返って、来た道を見た。
まだ10時台だから観光客が少ないのか、それともこんなものなのだろうか。
商店街のアーケードを右手に曲がった。
右手の鮮魚店は営業をしている雰囲気がない。
アーケードをくぐった。
テント工場があった。高田のたかは、いわゆる、はしごだか、である。この仕事をしているとこういう名前には敏感でなければならない。
森川豊国堂である。カステラ、アイスキャンディ―、ミルクセーキと書かれている。お菓子屋さんである。
ミルクセーキといえば、昨年の長崎・佐賀・福岡旅行で、長崎セーキというアイスクリームを買った(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/511325566.html)。
アレの飲む版かと思ったのである。
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この記事へのコメント
写真を拝見した限り、、、
ワタクシが過ごしてきた昭和よりも、けっこう古いイメージです。
昭和は長いですもんね。。
ボンネットバスは懐かしい!!
実家(世田谷区)周辺は道が激狭な為、、
比較的小型なボンネットバスを使ってる路線が残っていたんです。
1970年代まで走っていましたけれど、
新しく小型の車両が導入されて消滅しました。。
私の住む旭区にはない雰囲気です。
もちろん、ボンネットバスは見たことないですよ。
まあ、三丁目の夕日の世界です。