2025舞鶴旅行記1日目その14~他所のホフマン窯は重要文化財なのに・・・~
14時30分、舞鶴赤れんが博物館の1階にあるホフマン窯の内部を再現したコーナーに来ていた。

中に入ると説明書きがあった。

長円形のホフマン窯の説明である。
楕円形に窯を作り、2窯ずつ火を入れる。順番に火を入れることに寄って、連続的に焼き上げることに寄って大量にれんがを焼成して生産できることになるということだ。
今ならベルトコンベアに乗せてれんがを移動させて焼成するのであろうが、昔なのでベルトとコンベアがない。
そこで下のれんがを動かすのではなく、火を入れる場所を移動させていくとのことだ。

れんがの製造工程例である。①原土採掘というれんがの原料である粘土を採掘する、②粉砕、③水簸(すいひ)、④配合、という過程である。

➄混錬という土中の気泡を除き水分を一定にしないといけない、⑥ねかせという過程を経る。
右にはホフマン窯を生み出したドイツ人のホフマンの写真が展示されている

⑦成形、⑧乾燥、⑨焼成という過程では1室あたり30数時間程度で焼き上げる、⑩窯出し、という過程を経て出来上がりだ。

左が昭和30年頃の神崎ホフマン窯で、右が現在の神崎ホフマン窯の写真である。

もっとも、神崎ホフマン窯は1958年(昭和33年)に稼働を止めた。左の写真の3年後である。
1991年(平成11年)に国の登録有形文化財となった。

神崎ホフマン窯の模型である。

先を進んだ。

ホフマン式綸窯の写真である。

右手には我が国のホフマン式窯の写真とそこで作られていたれんがである。

我が国では東京の小菅において明治6年にはホフマン式窯でれんがの量産体制に入っていた。

こちらがそのれんがである。

左がさきほどの神崎ホフマン窯で、右が滋賀県は近江八幡市にあった中川煉瓦ホフマン窯の写真である。八幡堀と呼ばれる水路沿いに窯があり、水路を使って運ばれていたようだ。

右がその近江八幡の中川煉瓦ホフマン窯で作られたものである。

右が埼玉県にある日本煉瓦製造旧六号窯で、現在では国の重要文化財に指定されている。
左が栃木県にあるシモレンホフマン窯である。
こちらも国の重要文化財に指定されている。
他所のホフマン窯は重要文化財なのに舞鶴のそれは有形文化財止まりなのである。

こちらがそれぞれ国の重要文化財に指定されたホフマン窯で造られたれんがである。

こちらは大正末期(1920年頃)のれんが運搬車である。

アーチを組む型枠である。

ニャン吉博士のなぜなぜ?教室というのがあった。

ホフマン窯ってなに?とあった。
今まで見てきた通り、楕円形にして火を順番に移していく方式である。

れんがは何でうっつけるの?とあった。これは知らない。
昔は、泥、そして、天然アスファルトで、2000年前にはセメントに近いもので、200年前にイギリスでボルトランドセメントが使われたのである。

どうしてれんがは赤いの?それも知らない。
砂の中の鉄分が参加して赤くなるということだ。

舞鶴絵日記というのがあったので記念写真を撮って貰った。
しかしながら、肝心の日付が入っていなかったのである。
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中に入ると説明書きがあった。
長円形のホフマン窯の説明である。
楕円形に窯を作り、2窯ずつ火を入れる。順番に火を入れることに寄って、連続的に焼き上げることに寄って大量にれんがを焼成して生産できることになるということだ。
今ならベルトコンベアに乗せてれんがを移動させて焼成するのであろうが、昔なのでベルトとコンベアがない。
そこで下のれんがを動かすのではなく、火を入れる場所を移動させていくとのことだ。
れんがの製造工程例である。①原土採掘というれんがの原料である粘土を採掘する、②粉砕、③水簸(すいひ)、④配合、という過程である。
➄混錬という土中の気泡を除き水分を一定にしないといけない、⑥ねかせという過程を経る。
右にはホフマン窯を生み出したドイツ人のホフマンの写真が展示されている
⑦成形、⑧乾燥、⑨焼成という過程では1室あたり30数時間程度で焼き上げる、⑩窯出し、という過程を経て出来上がりだ。
左が昭和30年頃の神崎ホフマン窯で、右が現在の神崎ホフマン窯の写真である。
もっとも、神崎ホフマン窯は1958年(昭和33年)に稼働を止めた。左の写真の3年後である。
1991年(平成11年)に国の登録有形文化財となった。
神崎ホフマン窯の模型である。
先を進んだ。
ホフマン式綸窯の写真である。
右手には我が国のホフマン式窯の写真とそこで作られていたれんがである。
我が国では東京の小菅において明治6年にはホフマン式窯でれんがの量産体制に入っていた。
こちらがそのれんがである。
左がさきほどの神崎ホフマン窯で、右が滋賀県は近江八幡市にあった中川煉瓦ホフマン窯の写真である。八幡堀と呼ばれる水路沿いに窯があり、水路を使って運ばれていたようだ。
右がその近江八幡の中川煉瓦ホフマン窯で作られたものである。
右が埼玉県にある日本煉瓦製造旧六号窯で、現在では国の重要文化財に指定されている。
左が栃木県にあるシモレンホフマン窯である。
こちらも国の重要文化財に指定されている。
他所のホフマン窯は重要文化財なのに舞鶴のそれは有形文化財止まりなのである。
こちらがそれぞれ国の重要文化財に指定されたホフマン窯で造られたれんがである。
こちらは大正末期(1920年頃)のれんが運搬車である。
アーチを組む型枠である。
ニャン吉博士のなぜなぜ?教室というのがあった。
ホフマン窯ってなに?とあった。
今まで見てきた通り、楕円形にして火を順番に移していく方式である。
れんがは何でうっつけるの?とあった。これは知らない。
昔は、泥、そして、天然アスファルトで、2000年前にはセメントに近いもので、200年前にイギリスでボルトランドセメントが使われたのである。
どうしてれんがは赤いの?それも知らない。
砂の中の鉄分が参加して赤くなるということだ。
舞鶴絵日記というのがあったので記念写真を撮って貰った。
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