2024長崎・佐賀・福岡旅行記6日目その16~大廣間から見る松濤園が素晴らしい~
13時4分、御花のさげもんという場所(家政局)という場所で見事なひな壇と下げもんを見た後、大廣間にやってきた。
大廣間は東から18畳、18畳、12畳の部屋が並ぶ。
飛騨高山の陣屋の大広間(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/202206article_8.html)や山口の菜香亭の大広間(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/498302389.html)に負けていない。
上記は個人宅ではないので比較できないのだろうが、個人宅でこれだけ広さは見たことがないかな。
昔の大名家ならこのクラスはたくさんあったのかもしれないが、現存していないのだろう。私が訪れていないということがあるにせよ。
東西二か所に床、棚、付書院(つけしょいん)があり、沓脱石を中心に松濤園全体を隅々まで見渡せるような配置になっている。
こちらは西端にある12畳の部屋である。左から付書院、床と棚である。付書院は床の間脇の縁側沿いにある開口部で、座敷飾りのための場所である。
一番東の18畳の部屋に入った。同じく、左から棚、床、付書院がある。床には3本の掛け軸が飾られていた。
一番右の掛け軸は桜の木が描かれている。
真ん中の掛け軸は松の木が描かれている。
一番左の掛け軸はもみじの木が描かれている。
桜の春、松の夏、もみじの秋を示しているのだろうか。
まあ、松が夏を指すのか微妙だが、これだけ緑が奇麗に描かれているのなら夏になるのかな。
棚である。これが金沢あたりになると金箔が張られているのだろうか。金沢に行った際には金箔の棚は見たことがなかったが。
縁側から松濤園を見た。松の緑が奇麗だ。
松濤園は、池を中心に周囲にクロマツ、庭石、石灯篭はを配した華やかな庭で、この配置は14代当主の立花寛治伯爵の意向が強く反映されてい
るとのことだ。
右手(西側)にも建物が見えた。レストラン対月館である。
縁側の上にはちょっと形の変わった、でも見たことのある兜である金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)が飾られていた。西洋甲冑に影響を受けて作られ始めたものといわれている。その形が桃の実を思わせることから桃形兜とも呼ばれているそうだ。
通りで見たことのある形だなと思った。
大廣間を出て来た。
ところで、「広」ではなく、「廣」が使われているのかは分からない。
お手洗いに行きたくなったので行くことにした。
それから、近くに松濤園が見える場所があったので行ってみた。
こんな感じで松濤園だけではなく、左に大廣間も見える。
窓枠が邪魔なので近づいて撮ってみた。
左の大廣間も撮った。木造平屋建であることが分かる。
ソファーも座り心地が良かった。
こちらがレストランである。
お腹も空いたし、御花を出てうなぎを食べに行こうとなった。
そう、場所は先ほどの川下りの終着点手前でうなぎの良い香りがした所である(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/515483750.html)。
出口に向かおうとすると立花家能衣装と姫駕籠と書かれた作品が展示されていた。
なんと、驚くことにタバコの空箱で出来ているのだ。
感心しながら出口に向かったのである。
HPです
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