2024長崎・佐賀・福岡旅行記6日目その14~ここで結婚式をして花嫁花婿衣装を着て川下りをすることこそステイタス~

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12時55分、立花家の御花の西洋館の2階に上がってきた。
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1783年に柳川藩5代藩主立花貞俶(さだよし)が家族と過ごすための場所として、この地に屋敷を設けたことが始まりで、この西洋館は1910年(明治43年)に立花家の迎賓館として建てられたものである。
その結果、立花家は洋館と和館が存した。
そして、西洋館に玄関と応接の機能を持たせた。
この西洋館は木造二階建て、玄関では華やかな三連アーチに迎えられるとのことだ。
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応接室である。
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こちらはその手前の部屋である。受付みたいなものか。
応接室の中に入った。
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応接室の奥に小さな部屋があった。
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窓から北側の景色を見た。
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東角には写真があった。
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窓の外を見ると手前がさげもんといい、奥に宿泊棟が見えた。
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天井はこんな感じだ。
応接室をぐるりと回った。
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南側である。
結婚式場みたいになっている。
こちらでも結婚式が行われているようだから、そのための配列になっているのだろう。
私がいる所が神父、といっても、雇われ外国人?が立って新郎新婦を迎えるところなのだろう。
柳川の人はここで結婚式を挙げて、花嫁花婿衣装を着てどんこ舟に乗って掘割を1周するのが一番のステイタスなのかな。
花嫁花婿衣装を着てどんこ舟に乗るシーンを見たことがある。
さっきもそんなフレーズを思っていたな(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/515163508.html)。
今の時代はともかく、昭和の時代や平成初期はそうだったのではないだろうか。
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壁には地図が掛けられていた。よく見ると上が西側を向いている九州の地図だった。
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奥の階段から降りることにした。
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まあまあ急な階段だ。
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1階に降りて来た。1階には食堂や玄関があり、また暖炉は当時の姿のままとのことだ。
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右奥に小窓が見える。
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当時はこの配膳口から食事が運ばれ、限られた執事のみが立花家のお世話をしていたとのことだ。
西洋文化を取り入れるため立花家では100年前から洋食を嗜んでいたすおだ。
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中央にあるのが暖炉である。
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食堂を出て来た。
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このような部屋もあった。
順路に沿って歩いた。
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西洋館を出て左手に曲がった。
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曲がってすぐの壁に柳川城下町絵図が掲げられていた。
右下に赤色で囲まれているのが御花である。
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進むとさげもんが見えた。
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廊下一杯にさげもんがあった。
この辺りがさげもんという部屋のようだ。
柳川ではひな祭りの際にひな壇のまわりに色とりどりのさげもんを飾る慣わしがあるそうで、女性としての美しさ、強さ、誇りなどを身に付けてほしい欲しいという親の願いがその飾りにひとつひとつ込められているとのことだ。
廊下を進んだのである。

HP

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この記事へのコメント

2025年05月30日 10:27
こんにちは。

柳川の観光船は「川下り」ですが、
花嫁船は「川上り」をするそうです。
理由は「縁起担ぎ」らしいですけれど、
すれ違うフツーの観光船に「みせびらかす」意味もあるのかなと、勝手に想像しています。
中村裕司
2025年05月30日 21:37
柳川川下りと逆のコースなら川上がりですね。
舟だけではなく、近所の人に見せることで、離婚できないというしがらみの側面もあるのかも。
でも、絵になるし、映画のワンシーンですね。

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