2024長崎・佐賀・福岡旅行記6日目その13~ひな人形が小さくて見事~

12時41分、柳川川下りを終えて、立花家資料館にきて見学していた。
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こちらは芥子雛段飾り(けしびなだんかざり)である。
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江戸時代後期のもので見事な作品である。
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こちらは有職雛である。
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江戸時代後期の作品である。こういうのを見ると日本人は手先が器用だなと思った。
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上は牡丹唐草蒔絵雛調度(ぼたんからくさまきえひなちょうど)で、下の左は貝桶・合貝、右は歌留多である。
歌留多は字が書かれているが、小さすぎて老眼の私には見えない。
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江戸時代初期の雛人形は質素な紙製の立雛姿であったが、ひな祭りの隆盛に従い座り姿の衣装雛に変わり、やがて様々な様式のひな人形が生み出されたとのこと。
江戸時代後期には芥子雛と呼ばれる極小サイズのひな人形が流行したそうだ。
また、江戸七澤屋製と京都製というのもあるとのこと。
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こんな感じで長い巻き物も展示されていた。相撲の絵もあった。
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芸集武太夫物語絵巻(げいしゅうぶだゆうものがたりえまき)という。全3巻あり、江戸時代後期の作品である。
相撲が武太夫というのだろうか。
一通り見終えたので、入口(兼出口)に戻ることにした。
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なにかよく分からないカードである。
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筑前の国を中心とした地図である。
12時48分、立花家資料館を出て来た。
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北側の風景である。
今度は御花に入ることにした。
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受付で、立花家資料館のチケットを見せて、パンフレットを貰った。
この御花は1783年に柳川藩5代藩主立花貞俶(さだよし)が家族と過ごすための場所として、この地に屋敷を設けたことが始まりとのことである。
西洋館、松しょう園 大廣間などは1910年に第14代立花寛治(ひろはる)によって造られた。
現在、約7000坪の敷地全体が国指定名勝になっている。
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順路に沿って歩いた.
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奇麗な毬等が展示されていた。このようにぶらさがっている物をさげもんという。
柳川ではひな祭りの際にひな壇のまわりに色とりどりのさげもんを飾る慣わしがある。
女性としての美しさ、強さ、誇りなどを身に付けてほしい欲しいという親心がその飾りにひとつひとつ込められているとのことだ。
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こんな感じで進んだ。
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途中、窓から東側の風景が見えた。左手の白い建物が西洋館で、正面奥が宿泊棟、右が料亭である。
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西洋館に入った。西洋館は1910年(明治43年)に立花家の迎賓館として建てられた。鹿鳴館風というか、フレンチルネッサンス様式である。
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すぐにトイレがあった。といっても、使用禁止のものである。いわゆる展示用である。
2005年に地震で被害を受けたが、その後修復して明治時代に造られた時の姿に復元されている。
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西洋館のドアノブには装飾が施されていないが、トイレのドアノブのみ装飾が施されている。これは身分の高い方が自ら触る唯一のドアノブだからではないかと考えられている。
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右手に階段が見えた。
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まずは階段を上るとのことにしたのである。

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