2024長崎・佐賀・福岡旅行記3日目その9~この旅の三大目的の一つである柿右衛門窯へ~
13時11分、お昼ご飯を食べた亀井鮨さんを出て、来た道を戻ることにした。
これから、この旅の主要目的である柿右衛門窯に行くのである。
横断報道が鳴って遮断機が降りた。

有田駅を出発した特急みどりがやってきた。博多に向かうのである。
横断歩道を越えた。

右手に鳥居が見えた。この上に神社があるのだろう。上から有田の町並みを見てみたいが、まずは柿右衛門窯だ。時間があれば行ってみよう。
まっすぐに走った。

右に曲がると有田駅である。
ここを左に曲がった。

右手に見えるのが、有田町文化体育館で、隣が有田町生涯学習センターである。

有田川を越えようと橋を渡った。うん?欄干に何か見える。

さすが、有田焼の壺が乗っている。
と思ったら、古伊万里の壺だそうだ。もっとも、複製で、実物は九州陶磁文化館、蒲原コレクションに展示されているとのことだ、

iPhone14でも撮ってみた。

反対側を見ると山がいくつも見えた。手前には先ほどの佐世保線の鉄橋が見えた。
ここから突き当りに行くと国道35号線に出た。
そして、右手(西側)に曲がり走った。
上ったり、下ったりした。ああ、電動自転車にして正解だったなと実感した。
親しい友人は少し息を切らしながら走っていた。
私も必死だったので、写真を撮る余裕がなかった。

5分以上走って、柿右衛門窯の看板が見えた。

ここを左に曲がって600mとのことだ。
左に曲がって走った。
緩やかな登り道だった。

下を見ると熟していない栗が落ちていた。
これでは食べることができない。もったいないな。

あれはバス停か?バスが通っているのかと思った。

単なる休憩所のようだった。

走っていると周りの雰囲気が住宅街になった。本当に柿右衛門窯があるのかなと思った。

しかし、見ると重要無形文化財、つまり、人間国宝の窯が矢印に記されている。
また、他にも窯元があった。
ああ、間違っていないんだなと思った。

1分ほどで柿右衛門窯が見えた。

敷地の外に有田皿山南川原山と刻まれた石碑があった。ざっくり言うと、有田皿山とは有田の窯場という意味で、南川原山とは地名、さらに絞られて窯場の地名を指すようだ。
有田という大きな窯場の地域の中でも南川原山の窯場ですよという意味なのだろう。

その横には白磁のまちの道しるべと書かれた説明図である。
柿右衛門といえば、酒井田喜三衛門(初代柿右衛門)が1643年(寛永20年)に日本で初めて赤絵技法を完成させ、また、赤絵と調和した乳白色の「濁し手」と呼ばれる素地の開発で知られる。
また、昨日の出島で紹介があった通り(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/509169366.html)、中世ヨーロッパに輸出され、マイセン等で柿右衛門様式の写しが流行した。
私のような素人でも赤色の絵付けが鮮やかだったことを覚えている。

駐車場の手前に自転車を止めた。それにしても暑い。

柿右衛門窯元の石碑が大きい。

先にお手洗に行き、それから、お店の中に入ったのである。
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これから、この旅の主要目的である柿右衛門窯に行くのである。
横断報道が鳴って遮断機が降りた。
有田駅を出発した特急みどりがやってきた。博多に向かうのである。
横断歩道を越えた。
右手に鳥居が見えた。この上に神社があるのだろう。上から有田の町並みを見てみたいが、まずは柿右衛門窯だ。時間があれば行ってみよう。
まっすぐに走った。
右に曲がると有田駅である。
ここを左に曲がった。
右手に見えるのが、有田町文化体育館で、隣が有田町生涯学習センターである。
有田川を越えようと橋を渡った。うん?欄干に何か見える。
さすが、有田焼の壺が乗っている。
と思ったら、古伊万里の壺だそうだ。もっとも、複製で、実物は九州陶磁文化館、蒲原コレクションに展示されているとのことだ、
iPhone14でも撮ってみた。
反対側を見ると山がいくつも見えた。手前には先ほどの佐世保線の鉄橋が見えた。
ここから突き当りに行くと国道35号線に出た。
そして、右手(西側)に曲がり走った。
上ったり、下ったりした。ああ、電動自転車にして正解だったなと実感した。
親しい友人は少し息を切らしながら走っていた。
私も必死だったので、写真を撮る余裕がなかった。
5分以上走って、柿右衛門窯の看板が見えた。
ここを左に曲がって600mとのことだ。
左に曲がって走った。
緩やかな登り道だった。
下を見ると熟していない栗が落ちていた。
これでは食べることができない。もったいないな。
あれはバス停か?バスが通っているのかと思った。
単なる休憩所のようだった。
走っていると周りの雰囲気が住宅街になった。本当に柿右衛門窯があるのかなと思った。
しかし、見ると重要無形文化財、つまり、人間国宝の窯が矢印に記されている。
また、他にも窯元があった。
ああ、間違っていないんだなと思った。
1分ほどで柿右衛門窯が見えた。
敷地の外に有田皿山南川原山と刻まれた石碑があった。ざっくり言うと、有田皿山とは有田の窯場という意味で、南川原山とは地名、さらに絞られて窯場の地名を指すようだ。
有田という大きな窯場の地域の中でも南川原山の窯場ですよという意味なのだろう。
その横には白磁のまちの道しるべと書かれた説明図である。
柿右衛門といえば、酒井田喜三衛門(初代柿右衛門)が1643年(寛永20年)に日本で初めて赤絵技法を完成させ、また、赤絵と調和した乳白色の「濁し手」と呼ばれる素地の開発で知られる。
また、昨日の出島で紹介があった通り(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/509169366.html)、中世ヨーロッパに輸出され、マイセン等で柿右衛門様式の写しが流行した。
私のような素人でも赤色の絵付けが鮮やかだったことを覚えている。
駐車場の手前に自転車を止めた。それにしても暑い。
柿右衛門窯元の石碑が大きい。
先にお手洗に行き、それから、お店の中に入ったのである。
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