2024旭東支部遠足その13~17拍子は意外?普通?に難しい~
16時18分、南北朝時代の南朝皇居であった吉水神社にきていた。

南朝の皇居である吉水神社の書院には後醍醐天皇の玉座があった。また、遡れば、源義経が頼朝に追われた際に、静御前、弁慶と共にこの書院に身を潜めていた。
そんなこともあってか、吉水神社の書院は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっている。

拝殿に向かい、拝むことにした。
もちろん、参拝方法は二礼十七柏手一拝である。十七回も柏手を打つのは十七の大神への拝謝の表すことである。
では、どのように十七回も柏手を打つのかというか、四柏手を4回打ってから、最後に1回打つ、つまり、3・3・7拍子ではなく、4・4・4・4・1拍子で調子を取ればよいのだ。
ということで、私の番になったのだが、そんな簡単なものではなく、結局、1から17まで数えて、何とか参拝ができた。
それから、おみくじを引く方もおられた。
私は初詣で大吉を引いているので、引かなかった(と思ったら実は中吉だった(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/501965032.html))。

そのおみくじはこちらに結ぶ。少し変わった形だ。

Kさんの子供が、カタツムリがいてると怖がっていた。大阪でカタツムリを見る機会はほぼないから珍しい。
もっとも、大阪でなくてもほぼ見ないか。
私もフランスで見て以来かも。
もちろん、子供に向かって「カタツムリは美味しいやで」なんて野暮なことは言わない。
カタツムリはフランスでエスカルゴとして食べるから美味しいのだ。日本のカタツムリは私もよう食べられない。フランスから輸入なら食べられるのだが。

向こうに石碑が見えたので近づいてみた。

左の石碑の左には明治維新派南朝の確立と刻まれていた。右には明治天皇御製の和歌が刻まれていた。右には昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の歌が刻まれていた。

ポールがあった。国旗掲揚のためだろう。
残念ながら、書院の拝観をしたいところだが、次の場所への移動となった。

未練たらしく、振り返って、書院の方を見た。

未練を断ち切り、門をくぐることにした。

再度、一目千本の所に行き、風景を見た。

奥に建物が見えたので、倍率を上げた。民家かお寺かまでは分からなかった。

iPhone14で撮ってもそれは同じだった。

表門を出ることにした。
みんなは既に来た道をだいぶん進んでいて、私は取り残されていた。

これは吉野杉かな。

登りがキツイ。また汗が出て来た。

何とか登り終えた。登り終えてこの写真を撮るのは違うと思うのだが、仕方がない。

先ほど見た東南院である。役行者の開基と伝えられ、1300年の歴史を持つお寺だ。

こちらは多宝塔である。こちらの建物の方が有名のようだ。

随分、置いて行かれた。まあ、写真を撮っているのだから仕方がない。

金峯山寺の蔵王堂が見えて来た。

支部の方がお土産屋さんの駐車場で山々の景色を見ていた。

神々しい風景である。
この地が霊場になっているのも何となく分かるような気がしたのである。
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南朝の皇居である吉水神社の書院には後醍醐天皇の玉座があった。また、遡れば、源義経が頼朝に追われた際に、静御前、弁慶と共にこの書院に身を潜めていた。
そんなこともあってか、吉水神社の書院は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっている。
拝殿に向かい、拝むことにした。
もちろん、参拝方法は二礼十七柏手一拝である。十七回も柏手を打つのは十七の大神への拝謝の表すことである。
では、どのように十七回も柏手を打つのかというか、四柏手を4回打ってから、最後に1回打つ、つまり、3・3・7拍子ではなく、4・4・4・4・1拍子で調子を取ればよいのだ。
ということで、私の番になったのだが、そんな簡単なものではなく、結局、1から17まで数えて、何とか参拝ができた。
それから、おみくじを引く方もおられた。
私は初詣で大吉を引いているので、引かなかった(と思ったら実は中吉だった(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/501965032.html))。
そのおみくじはこちらに結ぶ。少し変わった形だ。
Kさんの子供が、カタツムリがいてると怖がっていた。大阪でカタツムリを見る機会はほぼないから珍しい。
もっとも、大阪でなくてもほぼ見ないか。
私もフランスで見て以来かも。
もちろん、子供に向かって「カタツムリは美味しいやで」なんて野暮なことは言わない。
カタツムリはフランスでエスカルゴとして食べるから美味しいのだ。日本のカタツムリは私もよう食べられない。フランスから輸入なら食べられるのだが。
向こうに石碑が見えたので近づいてみた。
左の石碑の左には明治維新派南朝の確立と刻まれていた。右には明治天皇御製の和歌が刻まれていた。右には昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の歌が刻まれていた。
ポールがあった。国旗掲揚のためだろう。
残念ながら、書院の拝観をしたいところだが、次の場所への移動となった。
未練たらしく、振り返って、書院の方を見た。
未練を断ち切り、門をくぐることにした。
再度、一目千本の所に行き、風景を見た。
奥に建物が見えたので、倍率を上げた。民家かお寺かまでは分からなかった。
iPhone14で撮ってもそれは同じだった。
表門を出ることにした。
みんなは既に来た道をだいぶん進んでいて、私は取り残されていた。
これは吉野杉かな。
登りがキツイ。また汗が出て来た。
何とか登り終えた。登り終えてこの写真を撮るのは違うと思うのだが、仕方がない。
先ほど見た東南院である。役行者の開基と伝えられ、1300年の歴史を持つお寺だ。
こちらは多宝塔である。こちらの建物の方が有名のようだ。
随分、置いて行かれた。まあ、写真を撮っているのだから仕方がない。
金峯山寺の蔵王堂が見えて来た。
支部の方がお土産屋さんの駐車場で山々の景色を見ていた。
神々しい風景である。
この地が霊場になっているのも何となく分かるような気がしたのである。
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