2024旭東支部遠足その12~南朝皇居吉水神社へ~
16時15分、南朝の皇居であった吉水神社の表門に来ていた。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産で、重要文化財に指定されている。
もっとも、重要文化財は神社全体ではなく、書院などに限られている。
書院は日本最古の書院で、初期書院造の代表傑作と言われている。この書院に源頼朝に追われた源義経、静御前、弁慶が身を潜めていたと言われている。
また、南朝の後醍醐天皇の玉座があった。
この吉水神社の御祭神は後醍醐天皇、楠正成公、吉水院宗信法印公である。
後醍醐天皇は足利尊氏と共に鎌倉幕府を倒したが、その3年後には足利尊氏が反乱を起こし、後醍醐天皇は京を追われ、ここで南朝を開いた。
また、1594年(文禄3年)、豊臣秀吉が吉水神社を本陣にして盛大な花見の宴を行ったそうだ。
門の前には五大尊金生大明神が祀られていた。金運招来と書かれている。
門をくぐって中に入った。
中に入ると、また門があった。
左手を見ると吉水神社の参拝方法が書かれていた。二礼十七拍手一拝とのこと。十七拍手!と思った。十七拍手といっても、四拍手を4回行い、最後に一拍手である。
その意味は、天之御中主神(あめのみなかぬしかみ)から伊邪那美神(いざなみのかみ)までの十七の大神への拝謝を現わす柏手とのことだ。
犬の参拝もOKとのことだ。神社でも禁止の所が多い中、こちらは後醍醐天皇が吉野に行幸されたときに、犬に導かれて来られたという逸話があることに由来しているようだ。
右手に向かった。
こちらは一目千本(ひとめせんぼん)と書かれている。雨が少し振っていたからか、山々が神々しい気もする。
この木がそうなのではなく、木々の間から中千本と上千本を見ることができる。
また、一目千本は一目十年とも言われ、一目見ると10年長生きができるという長寿のご利益があると言われている。まあ、それはどうだかなあと思うのだが。
21世紀に残したい日本の風景花部門第1位が一目千本とのことだ。
確かに、この桜の写真の風景は凄い。一度は花見に来て見たい。
茶色の部分が春になれば桜が咲くのだろう。面影はあるか。
豊臣秀吉が行った花見の宴の様子だ。徳川家康や前田利家、伊達政宗、加藤清正らも一緒に来ている。
このとき、徳川家康の内心はどうだったのだろうか。いずれお前を殺して天下を取り、私が花見を主宰する、とでも思っていたのだろうか。いや、いずれお前が死ぬのを待って、死んだら天下を取って花見を主宰するとでも思っていたのだろうか。
後醍醐天皇御製の和歌を刻んだ石碑である。
ここにいても 雲井の桜 咲きにけり
ただかりそめの 宿と思う
門を越えた。
右を見ると手前に宗と書かれた石碑があった。おそらく、ご祭神の一人宗信法印の碑ではないか。奥に見え得るのが恵比寿神社である。
左手には吉水神社の書院の拝観・展示案内があった。
本殿・書院へと進んだのである。
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この記事へのコメント
徳川家康さんの内心は、、、、
誰が主役の時代劇かで変わるんでしょうね。。
ホントの正解は、、、もう誰にも判りませんでしょう。
もしも心境を綴った直筆文章が出てきたとしても、
それが本心かは判りませんですし。。
ドラマなら脚本家が誰かに依るでしょうし。
橋田壽賀子の脚本なら、子供の頃の家康はえなりかずきで決まり!
だって仕方がないじゃないか。
信長も秀吉も死んだら、俺が天下を取るしか。
こんな感じかな。