2024旭東支部遠足その8~清水の舞台から飛び降りるつもりで購入する?~
14時2分、金峯山寺の横手を歩いていた。
左手には紀伊山地の山々が見える。
右に曲がった。右手を見ると稲荷社が見えた。後醍醐天皇導之稲荷社である。
北朝方との対立が激しくなって、京都を脱出した後醍醐天皇は1333年(延元元年)12月28日に吉野山の行宮に着いたそうだ。
稲荷社の手前で浄財を入れてお参りした。
稲荷社からメインストリートを見た。まだまだ道は奥へと続く。
稲荷社の隣には金峯山寺の境内への入口があった。
ここで全体写真を撮った。
それから、修験道や山伏に詳しい支部会員のMさんが金峯山寺の説明をしてくれた。
7世紀後半に修行道を始めた役行者(えんのぎょうしゃ)が金峯山で修業され、金剛蔵王大権現を修験道のご本尊とし、吉野山に祀られたのが金峯山寺の開創と伝えられ、金峯山寺は皇族貴族から一般民衆に至るまで多くの人から崇敬を受けて修験道の根本道場として大いに栄えたそうだ。

現在でも全国の修験者、山伏が集う修験道の中心寺院である。
階段を登った。
登った先にあったのが二天門跡である。
大峯から出峰してきた行者を迎える門だった。
また1333年(元弘3年)1月16日、鎌倉幕府が攻め寄せ吉野落城の際、大塔宮の家来の村上義光が身代わりに二天門へかけ上り、切腹して、その隙に大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王が逃げ延びたという伝説があった場所である。
こちらは吉富稲荷大明神である。
その隣には久富稲荷大明神がある。
奥に本堂のようなものが見えるのが国宝で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっている蔵王堂である。

その手前に石の柵に囲まれて桜の木が立っている四本桜という。この前庭で大塔宮護良親王が最後の酒宴を開いたと云われていた。
こちらには色々と石碑が並んでいた。
こちらは先ほど保存修理工事をしていた国宝二王門の勧進申し受け所、すなわち、寄付を受け付ける場所である。
その隣が観音堂である。南北朝・室町時代頃に創建されたと考えられている。
拝観受付所まで来た。
今回は阿部野橋駅でも見た蔵王堂秘仏ご本尊環濠蔵王大権現の特別ご開帳が開催されている。
残念ながら、この拝観は遠足代金に含まれておらず、自腹となる。
値段を聞くと1,600円!
私にはちょっと高いと思う。
拝観するか悩んだが、これもこのブログのため、ということで清水の舞台、もとい金峯山寺の舞台から飛び降りる・・・、ほど高い場所にはないが、支払って拝観することにした。
アレッ、ブログのためにお金を支払ってというのは昔に言ったことがあったな。
ああ、イタリアのヴェルナッツァの登山を思いだした(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/201911article_25.html)。

拝観券を受け取った。

また、パンフレットも受け取った。
この蔵王堂は、単層裳階付き入母屋造り檜皮葺きで、高さ34mある。木造古建築としては、東大寺大仏殿に次ぐ大きさだ。
創建以来、何度も焼失、再建が繰り返されたが、現在の建物は1592年(天正20年)に再建されたものである。
そして、靴を脱いで、中に入ったのである。
行政書士中村裕司法務事務所ホームページ
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この記事へのコメント
は、、、拝観料が1600円ですか!!
これは、アベノハルカスから飛び降りねばなりませんですね。
なるほど、、通常は800円で、御開帳の特別料金でしたか。。
果たしてモトがとれましかかどうか、、、
続編に期待ですね。
そんなことを言っているうちは効果がないかもしれません(笑)。