2024旭東支部遠足その5~今、何曲目(なにまがりめ)だろうか~
11時50分、近鉄吉野駅から歩き、途中、ロープウェイ組と分かれて、吉野山を登っていた。
ポツポツと雨が降っているので折り畳みの傘を指して歩いているのだが、暑くて汗をかいてきた。
シャツを脱いでTシャツで歩きたい。
しかし、ポツポツとはいえ雨が降っているので、本当にそれをすると風邪を引いてしまうから我慢した。

そんな中、ショートカットできそうな階段があった。
もっとも、手すりがない。雨の中この階段を登るのは細い人間でないとダメだ。
ということで、七曲坂を歩くことに、いや、登ることにした。

麓の方を見た。さすがに、先ほどよりも上に登っていることを実感した。
iPhone14だと逆に暗く見える。

そこで、デジカメで倍率を上げて撮ってみた。デジカメの方が木々の緑がよく分かる。

さらに、4分ほど歩いた所でも撮ってみた。デジカメで撮ったのに暗い。

いま何曲目(なにまがりめ)だろうか、と思いながら七曲坂の石碑を見た。

座標?を見ると吉野駅から1.2km歩いたことになる。中千本まで0.8km、上千本まで2.0kmある。
そういえば、父の親戚(父の伯母)に千本のおばちゃん(父方の祖父の妹)と呼ばれる方がいたなと思い出した。千本というのは地名で、千本に住んでいるおばちゃんだ。千本というのはよくある地名なのだろう。

結局、何回曲がったのかは覚えていないが、ようやく上のメインストリートに出て来た。
後日、地図で確認すると6回曲がった。

吉野と言えば木村ではなく(それは字が違う)、くず餅である。
早速、くず餅が売られているお店があった。

無料休憩所である。誰も休憩をしていなかったが。

赤い橋が見えた。大橋という。大橋というには短い気がするのだが。
お店が増えて来た。
鮎やあまごの塩焼きが売られているお店があった。ああ、これと地酒だなと思いながら歩いた。

お食事処ちもとさんの手前にロープウェイ乗場があり、ここでロープウェイ組と合流した。

斜め前に関屋桜跡の石碑があった。この先に黒門があり(写真撮り忘れ)、この黒門がかつては関所だった。そのため、この辺りの坂道を関屋坂と呼ばれた。昭和初期頃までこの辺りに老桜があり、関屋の桜と呼ばれた。その老桜の跡ということだ。

メインストリートを進んだ。少し登っている。
お店も多いので軽く見ながら歩いた。

おお、たぬきの置物があった。信楽焼かと思った。

こちらはかえる等の焼き物である。

こちらでお昼ご飯を食べますと案内があった。
時計を見ると12時7分だった。

季節料理初音さんである。おお、かもなべ膳があるでと店先のメニューを見た。
もっとも、かもは好き嫌いがあるから、団体での食事の際は不向きである。今回のお昼ご飯に出て来るとは思えないし、期待してはだめだ。

靴を脱いで、2階へと上がった。

適当に座った。席には既にお料理が用意されている。

上を見ると手形があった。

そして、ビールが運ばれてきたのである。
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ポツポツと雨が降っているので折り畳みの傘を指して歩いているのだが、暑くて汗をかいてきた。
シャツを脱いでTシャツで歩きたい。
しかし、ポツポツとはいえ雨が降っているので、本当にそれをすると風邪を引いてしまうから我慢した。
そんな中、ショートカットできそうな階段があった。
もっとも、手すりがない。雨の中この階段を登るのは細い人間でないとダメだ。
ということで、七曲坂を歩くことに、いや、登ることにした。
麓の方を見た。さすがに、先ほどよりも上に登っていることを実感した。
iPhone14だと逆に暗く見える。
そこで、デジカメで倍率を上げて撮ってみた。デジカメの方が木々の緑がよく分かる。
さらに、4分ほど歩いた所でも撮ってみた。デジカメで撮ったのに暗い。
いま何曲目(なにまがりめ)だろうか、と思いながら七曲坂の石碑を見た。
座標?を見ると吉野駅から1.2km歩いたことになる。中千本まで0.8km、上千本まで2.0kmある。
そういえば、父の親戚(父の伯母)に千本のおばちゃん(父方の祖父の妹)と呼ばれる方がいたなと思い出した。千本というのは地名で、千本に住んでいるおばちゃんだ。千本というのはよくある地名なのだろう。
結局、何回曲がったのかは覚えていないが、ようやく上のメインストリートに出て来た。
後日、地図で確認すると6回曲がった。
吉野と言えば木村ではなく(それは字が違う)、くず餅である。
早速、くず餅が売られているお店があった。
無料休憩所である。誰も休憩をしていなかったが。
赤い橋が見えた。大橋という。大橋というには短い気がするのだが。
お店が増えて来た。
鮎やあまごの塩焼きが売られているお店があった。ああ、これと地酒だなと思いながら歩いた。
お食事処ちもとさんの手前にロープウェイ乗場があり、ここでロープウェイ組と合流した。
斜め前に関屋桜跡の石碑があった。この先に黒門があり(写真撮り忘れ)、この黒門がかつては関所だった。そのため、この辺りの坂道を関屋坂と呼ばれた。昭和初期頃までこの辺りに老桜があり、関屋の桜と呼ばれた。その老桜の跡ということだ。
メインストリートを進んだ。少し登っている。
お店も多いので軽く見ながら歩いた。
おお、たぬきの置物があった。信楽焼かと思った。
こちらはかえる等の焼き物である。
こちらでお昼ご飯を食べますと案内があった。
時計を見ると12時7分だった。
季節料理初音さんである。おお、かもなべ膳があるでと店先のメニューを見た。
もっとも、かもは好き嫌いがあるから、団体での食事の際は不向きである。今回のお昼ご飯に出て来るとは思えないし、期待してはだめだ。
靴を脱いで、2階へと上がった。
適当に座った。席には既にお料理が用意されている。
上を見ると手形があった。
そして、ビールが運ばれてきたのである。
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この記事へのコメント
この奥に、南朝の天皇様がオワシマシましたんですよね。
やはり、七曲坂を6回曲がって御所に行き来したのでしょう。
そして葛餅も鴨も食べたんでしょうね。
この後、どのような展開になるのか。