2024長崎・佐賀・福岡旅行記2日目その29~小さいからといって軽い訳ではない~

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17時8分、出島の三番蔵を出て、拝礼筆者蘭人部屋を見学していた。拝礼筆者とは帳簿などの筆記を行うオランダ人書記長が住んでいた建物で、現在は出島に入って来た蘭学の紹介をしている。
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「蘭学を発展させた人々」の説明書きである。西洋の化学・文化の研究は8代将軍徳川吉宗によって1720年(享保5年)頃から始まった。
そして、18世紀に入ると蘭学が江戸で盛んになり、京や大坂などにも広がった。
平賀源内や杉田玄白、大槻玄沢が発展させた人として有名である。
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こちらは1挺天符尺時計である。
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尺時計は、上部の機会から少しずつ下がってくる錘を指針として、文字盤の目盛りを読み取って時刻を知る形式の時計である。
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こちらは二挺天符台時計である。
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昼用夜用2本の天符を取り付けた時計である。これにより調節作業が半月に一度で済むようになった。
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こちらは地震予知器模型である。大地震の起きる前触れで地磁気が変化すると磁力で釣り上げた錘の均衡が破れ、錘を付けた鉄片が磁石から落下することで地震を予知するそうだ。
拝礼筆者蘭人部屋を出て来た。
左手(東側)を歩いた。
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左手(北側)に入口が見えた。
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左手に旧石倉が見えた。
旧石倉の前、すなわち、右手に組頭部屋・銅蔵があったので先にそちらに入ることにした。
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組頭部屋の組頭は地役人の乙名を補佐する者である。銅蔵の1階位は輸出用の棹銅が保管され、2階には輸入品の鮫皮が収められていた。
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中に入るとイスとテーブルがあった。
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「出島から世界に渡った銅」の説明垂れ幕である。組頭部屋の奥に銅蔵がある。
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右手を見るとこんな感じで秤がある。
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奥の銅蔵に入った。木箱がたくさん置かれていた。これらの箱は棹銅入箱という。
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輸出用の棹銅は同じ大きさの木箱に収められ、銅蔵の中に一時保管されていた。普通の箱の重さは約60㎏で、棹銅1本の重さは約300gで、それが200本詰められたとのこと。
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横手に移動した。小さそうな箱だから持って逃げたいが、60㎏あるので盗むことはできない。
ルパン三世でも無理だろう。まあ、アニメだから何とでもなるか。
こんな感じで棹銅が詰められている。小さい箱だから、これを軽いものだと思って持ち上げるとぎっくり腰になりそうだ。
そうそう、棹銅って何やねん?と思い、親しい友人に聞くと「銅のインゴットや」と返された。
後で調べたのだが、江戸時代の大坂には、あまり知られていないが、世界有数の銅精錬工場があり、その中でも最大だったのが住友銅吹所である。
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木箱に住友吉次郎吹納と書かれているから。そこで精錬されたものだろう。
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「出島に上陸した象」の説明書きである。1813年(文化10年)、出島に将軍への贈り物の一つとして象が贈られた。その象は銅蔵に入れられた。
しかし、将軍が受け取りを拒否して再び船に積まれたそうだ。
もったいないね、上野においておけば良かったのに。それは話が違うか。
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2階もあったので、上がってみた。
モニターで説明が流れていた。
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通りに面した部屋に来た。特に何もなかった。
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1階に降りて、先ほど見た前にある旧石倉に入ってみたのである。

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この記事へのコメント

2025年01月21日 10:47
こんにちは。

蘭学を学んだメンバーの名前を見ると、
子供の頃に観た(再放送かも)源内さんが主人公のドラマ、
「天下御免」を思い出しました。


ゾウは、上野だと運賃がタイヘンなので、
天王寺が良いかと思います。
南紀白浜に連れて行ってパンダと並べる手も。
まだ居ないですね。。
中村裕司
2025年01月22日 06:26
私は歴史より地理の方が好きなので歴史ドラマを余りみないんでそのドラマは知らないです(^^)。
長崎→小倉→大坂→天王寺→白浜→大坂→小倉→長崎とたらい回しなら、まさにかわいそうな象ですね。

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