2024長崎・佐賀・福岡旅行記2日目その26~輸出された銀は石見銀山のものなのだろうか~

16時54分、出島の一番蔵の中にいて、色々な資料を見ていた。
そして、一番蔵の2階に上がってきた。
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こちらは壁の断面図?というか、壁の中身というか構成である。
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こちらは一番船船頭部屋と一番蔵の大枠?のようである。これだけあっても仕方がないと思うのだが・・・。
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「よみがえる出島」、「歴史に忠実に」、「出土品が語る出島」、「発掘された遺構」という出島復元に関する説明書きである。
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「今に残る建物を参考に」という説明書きでは、長崎のみならず、オランダやインドネシアで現地に残る当時の建物を調査し、ふさわしい器具形式や色調などを決定したとのことだ。
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こんな感じで模型と説明書きが展示されている。
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こちらは縮尺30分の1の一番船船頭部屋の模型である。えっ、この建物を30個並べたら先ほど見た一番船船頭部屋になるのか、そんなに小さかったか。縮尺が300分の1と間違えていないかと思った。
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屋根裏の構造など見えない部分を説明する模型で、構造補強、鴨居の吊り型など細かい所も再現している。
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2階はこんな感じで展示されている。
2階も見終えたので、1階に降りてきた。
なぜか、順路が反対側に出るようになっていたので、入ってきた所からではなく、その奥というか裏から出た。
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出てみると、先ほど橋を渡った中島川が見えた。また、手前にはひまわりがたくさん咲いていた。
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ひまわりを見ながら、右隣(東側)の建物に移動した。
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傾斜地にも建物がたくさん建っている。上の方から見る夜景はどうなのだろうかと思った。
そして、二番蔵の中に入った。
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順路の案内図があった。
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こんな感じで展示されている。
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陶器などが展示されていた。
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輸出品の変遷の説明書きである。
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日本産の銀は良質であることから銀から始まり、銀の大量流出が問題となり、17世紀後半から銅へと変わった。
日本産の銀は石見銀山のものかな、いや、石見銀山が日本の銀を支えていたのだろうと石見銀山に行ったことを思い出した(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/499859179.html)。
他にも、陶磁器、漆製品、しょうゆや味噌も輸出されたとのことだ。陶磁器や漆製品は理解できるが、しょうゆや味噌も好まれたのかと感心した。
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また、連合オランダ東インド会社は貿易地にて貨幣の鋳造を許可されていたので、日本産の銅を使って銅貨を鋳造していた。
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さらに、VOCマークを押印したものもコインとして特定地域で流通させていた。
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その銅貨である。1790年(寛政2年)VOCマークの銅貨が造られていた。
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床を透明にして(ガラス板?)、下の部分が見えた。石が敷き詰められている。
復元前も二番蔵だったのだろうか。それとも、実際はもう少し二番蔵は小さく、庭先か何かだったのだろうか。
そう思いながら、先に進んだのである。

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