2024長崎・佐賀・福岡旅行記2日目その23~召使いは楽器も奏でられないといけない~
16時26分、出島のカピタン部屋に来ていて、1階にある出島での出来事や展示品を見ていた。

欄干の手摺故部分はよく見ると変わった形で色も派手である。これらは江戸時代に日本の建物では見られない特徴を持ったものである。

「閉じられたオランダ商館」である。1859年(安政6年)、オランダ商館は廃止され、218年の長い歴史の幕を閉じた。

1904年には港湾改良工事で出島が完全に姿を消した。

こちらはオランダ船である。
もっとも、今まで見た船の模型と異なり、歴史的なものではなく2011年に長崎くんちの踊町である出島町から戴いたミニチュアである。
1階を一通り見終えたので、いったん外に出た。
そして、2階に上がった。1回内部からは2階に行けず、外に出て外にある階段を登って2階に上がったのである。
昔の文化住宅みたいな感じで、外から入るようだ。

入ったところが大玄関である。

外から2階の居室部分に直接通じる「三角階段」が設けられていることである。

2階は商館長の住居のみならず、事務所及び迎賓館としての機能を持った公的な部屋でもあった。

大玄関の左手(東側)にある部屋を見た、色々なものが置かれていた。

15畳の部屋という。普段は商館の事務室として用いられていたと考えられている。
商館長の脇で事務員が大机に向かい書き物をしている様子が描かれている絵があったことがその根拠だ。
同じく、右手(西側)にある部屋を見た。17.5畳の部屋である。玄関脇にあることと部屋全体の構造からすると商館の主要な事務を執る場所であったと考えられている。

板の間からすぐの和室は玄関の間である。左奥に見えるのは客間である。

玄関の間はホールとして使用されていたと考えられている。1828年(文政11年)の記録では部屋の中央に「玉突き代」と書かれていたことから、先ほど見た(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/508639937.html)ビリヤードテーブルが置かれていたとのことだ。

玄関の間の中央には出島カピタン部屋普請分担絵図というのが展示されていた。

玄関の間から右手に移動した。

大きなテーブルが展示されていた。大広間で、35畳の広さがある。クリスマスを祝ったとされる祝宴風景を再現しているとのことだ。

出島の商館員たちは朝夕2回、カピタン部屋に集まってみんなで食事をする習慣だったそうだ。
のみならず、役人などとの応接や饗応の場としても重要な役割を果たしていた。

こちらは客間である。客間の奥は涼所がある。

客間は大広間の隣にあり、宴会風景を描いた絵画によると、客間で笛や太鼓、ビオラを奏でる召使いがいたようだ。

客間の左手には模型が展示されていた。

この模型でも客間でフルート?オーボエ?ヴァイオリンを奏でる3人の召使いの姿がある。見るとインド系の人に見える。
召使いは楽器もできないといけないのか、大変だなあと思ったのである。
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欄干の手摺故部分はよく見ると変わった形で色も派手である。これらは江戸時代に日本の建物では見られない特徴を持ったものである。
「閉じられたオランダ商館」である。1859年(安政6年)、オランダ商館は廃止され、218年の長い歴史の幕を閉じた。
1904年には港湾改良工事で出島が完全に姿を消した。
こちらはオランダ船である。
もっとも、今まで見た船の模型と異なり、歴史的なものではなく2011年に長崎くんちの踊町である出島町から戴いたミニチュアである。
1階を一通り見終えたので、いったん外に出た。
そして、2階に上がった。1回内部からは2階に行けず、外に出て外にある階段を登って2階に上がったのである。
昔の文化住宅みたいな感じで、外から入るようだ。
入ったところが大玄関である。
外から2階の居室部分に直接通じる「三角階段」が設けられていることである。
2階は商館長の住居のみならず、事務所及び迎賓館としての機能を持った公的な部屋でもあった。
大玄関の左手(東側)にある部屋を見た、色々なものが置かれていた。
15畳の部屋という。普段は商館の事務室として用いられていたと考えられている。
商館長の脇で事務員が大机に向かい書き物をしている様子が描かれている絵があったことがその根拠だ。
板の間からすぐの和室は玄関の間である。左奥に見えるのは客間である。
玄関の間はホールとして使用されていたと考えられている。1828年(文政11年)の記録では部屋の中央に「玉突き代」と書かれていたことから、先ほど見た(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/508639937.html)ビリヤードテーブルが置かれていたとのことだ。
玄関の間の中央には出島カピタン部屋普請分担絵図というのが展示されていた。
玄関の間から右手に移動した。
大きなテーブルが展示されていた。大広間で、35畳の広さがある。クリスマスを祝ったとされる祝宴風景を再現しているとのことだ。
出島の商館員たちは朝夕2回、カピタン部屋に集まってみんなで食事をする習慣だったそうだ。
のみならず、役人などとの応接や饗応の場としても重要な役割を果たしていた。
こちらは客間である。客間の奥は涼所がある。
客間は大広間の隣にあり、宴会風景を描いた絵画によると、客間で笛や太鼓、ビオラを奏でる召使いがいたようだ。
客間の左手には模型が展示されていた。
この模型でも客間でフルート?オーボエ?ヴァイオリンを奏でる3人の召使いの姿がある。見るとインド系の人に見える。
召使いは楽器もできないといけないのか、大変だなあと思ったのである。
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この記事へのコメント
畳敷きと言う事は、西洋人もクツを脱いだのでしょうか。
あるいは、土足で入り込んだとか。
だとすれば掃除とかもタイヘンそうな。。
そのあたりも、召使は忙しかったかと。。
大玄関の感じからしたら、靴を脱いでてもおかしくは無いけど、所詮は復元なので。