2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その26~あの映像が長崎くんちだったのか~

18時5分、グラバー園にある長崎伝統芸能館に来て、1634年(寛永11年)から続く、長崎くんちの展示物や資料を見ていた。
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曳物を見終えて、隣に移動した。左右に色々展示されている。
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左手の方を見に行った。
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傘鉾と書かれていた。デジカメだと暗い。
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傘鉾は長崎に58ヶ町ある踊町の行列の先頭に立つ町の印(しるし)、象徴とのことだ。
傘鉾は上部の飾りと傘の下に下がる垂れの趣向が特徴的で、町の由来や演じ物が奉納に因んだ意匠、季節を表わす菊花や紅葉などがあしらわれ、長崎刺繡やビードロ細工などを用いた贅を尽くした装飾が施されている。
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おまけに重さ120キロから150kある傘鉾を1人で担ぐとのこと。
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iPhone14でも撮ってみた。左の銅座町の傘鉾は注連縄が立派で、上は盆栽みたいにあっている。右の築町の傘鉾は真ん中の長崎ビードロ?が大きくて奇麗だ。
右手の方を見に行った。
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龍が展示されていた。
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舞い物という。龍踊が代表的で長崎くんちといえば龍踊を連想するほど全国的にも有名とのこと。そういえば、長崎の龍踊をテレビで観た気がする。
長崎の中華街の祭りかと思っていたが、あれが長崎くんちの龍踊だったのだろう。
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こちらは庭見せの様子を現している。
庭見せとは表通りに面した店舗などに傘鉾をはじめ演じ物の曳物や衣装などを分散して飾るほか、出演者に送られたお卑猥品を所狭しと並べて披露することである。
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これにより祭の高揚感が漂ってくるそうだ。
確かに、高揚感は大事だなと思った。
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ところで、踊町とは、その年に奉納踊を出す当番の町のことで、初期から複数の踊町による輪番制で行われていた。
寛文3年(1663年)の大火では長崎市中66カ町のうち63カ町が焼失とは・・・。
1672年(寛文12年)に80カ町になり、そのうち、77カ町を7つの組に分け、11カ町が7年に1度、踊町として奉納を行うことになった。
その後、色々町の再編成があったが、7年1巡制は変わらず続いているとのことだ。
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長崎伝統間の提灯である。
先を進むとお土産屋さんがあった。
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少し見て、せっかくだから、大浦天主堂のペーパーウエイトを購入した。
まあ、ペーパーウエイトの割には少し軽いが。
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でも、ちゃんと長崎と刻まれている。
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また、長崎しっとりカステラというのもお土産に購入した。
長崎伝統館を出て来た。
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振り返って出口を見た。
ホテルに戻ることにした。
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グラバー坂に出てきて歩いた。お土産屋さんは空いていたが、今晩は19時からお寿司屋さんを予約しているので、先を急いだ。
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すぐに教会が見えた。
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カトリック大浦教会である。
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マリア像があった。下には里脇枢機卿祝別1988年7月10日と書かれていた。里脇枢機卿は日本人として3人目の枢機卿である。長崎県出身で、長崎大司教だが、カトリック大浦教会と直接関係がない。
この日にカトリック大浦教会に来られて特別なミサをしたのだろうか。
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大浦天主堂の前に来た。
しかし、閉館時間のため鉄門により閉められていたのである。

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