2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その24~旧グラバー住宅のカップはウエッジウッドなのか~
17時48分、グラバー園にある旧グラバー住宅の中に入った。

観葉植物がたくさん置かれていた。サンルームのようになっているから陽当たりが良いからだろう。

このグラバー住宅はスコットランド出身トーマス・グラバーが1863年(文久3年)に建てた、現存する日本最古の木造洋風建築で、重要文化財である。
また、世界遺産明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産の一つでもある。
建物の展示では、ひと・たてもの・くらしをテーマにグラバーや息子の倉場富三郎(くらばとみさぶろう)の生涯、家族の暮らしの様子が紹介されているとのことだ。
そう、グラバーの息子は倉場というのだ。

建物の模型が展示されていた。

主屋は明治20年代、附属屋は明治10年代に復元されたようだ。

こちらは階段を降りて来たときに見た側面である。

トーマス・グラバーが1908年(明治41年)に叙勲を受けた勲二等旭日重光章の賞状である

こちらは応接室である。カップは「ウエッジウッドかな」と親しい友人に言うと「ここからはよく見えないから分からないけれど持っていても不思議ではないな」と返された。

こちらは寝室である。

こちらは厨房である。鶏一羽(食品サンプル)が置かれている(他に鯛一尾等)。
「やっぱり、洋風やなあ」と言うと「イギリスはローストビーフでは、ローストチキンはアメリカみたい」と親しい友人に返され、「確かに」と納得をした。

左奥にはレンガ造りのかまどがある。暖炉と兼用になっているのだろうか。
今日は暑いけれど、長崎の冬は寒いのだろうか。この丘陵地だと寒い気もする。

中庭に出て来た。
右手奥の建物はお茶煎り場としてされていたものである。

外に出て来た。
そして、旧グラバー住宅の外周をぐるっと回った形になった。

こちらは食堂である。お皿にローストビーフらしきもの(食品サンプル)が見えた。

別角度から見た食堂である。

旧グラバー住宅の外周を歩いていると看板のある樹木があった。

こちらはチャールズ3世国王即位記念樹である。樹木はイングリッシュオークである。長崎日英協会が贈ったようである。

誰かの胸像があった。

いうまでもなく、トーマス・グラバーの胸像である。

1961年(昭和36年)、長崎市長による顕彰の石碑である。貿易を営むかたわら近代的な造船、堀炭、製茶等の事業を起こし我が国の産業の発展に貢献したこと、薩長土肥の諸藩に協力して明治維新の大業に寄与したことが書かれている。
先ほども見たが、1908年(明治41年)に叙勲を受けたその3年後の1911年(明治44年)に73歳で亡くなっている。

マップを見て、展望台へと降りながら進んだ。

17時55分になるがまだまだ暑い。日傘が手放せない人もいる。

そして、展望台へとやってきたのである。
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観葉植物がたくさん置かれていた。サンルームのようになっているから陽当たりが良いからだろう。
このグラバー住宅はスコットランド出身トーマス・グラバーが1863年(文久3年)に建てた、現存する日本最古の木造洋風建築で、重要文化財である。
また、世界遺産明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産の一つでもある。
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そう、グラバーの息子は倉場というのだ。
建物の模型が展示されていた。
主屋は明治20年代、附属屋は明治10年代に復元されたようだ。
こちらは階段を降りて来たときに見た側面である。
トーマス・グラバーが1908年(明治41年)に叙勲を受けた勲二等旭日重光章の賞状である
こちらは応接室である。カップは「ウエッジウッドかな」と親しい友人に言うと「ここからはよく見えないから分からないけれど持っていても不思議ではないな」と返された。
こちらは寝室である。
こちらは厨房である。鶏一羽(食品サンプル)が置かれている(他に鯛一尾等)。
「やっぱり、洋風やなあ」と言うと「イギリスはローストビーフでは、ローストチキンはアメリカみたい」と親しい友人に返され、「確かに」と納得をした。
左奥にはレンガ造りのかまどがある。暖炉と兼用になっているのだろうか。
今日は暑いけれど、長崎の冬は寒いのだろうか。この丘陵地だと寒い気もする。
中庭に出て来た。
右手奥の建物はお茶煎り場としてされていたものである。
外に出て来た。
そして、旧グラバー住宅の外周をぐるっと回った形になった。
こちらは食堂である。お皿にローストビーフらしきもの(食品サンプル)が見えた。
別角度から見た食堂である。
旧グラバー住宅の外周を歩いていると看板のある樹木があった。
こちらはチャールズ3世国王即位記念樹である。樹木はイングリッシュオークである。長崎日英協会が贈ったようである。
誰かの胸像があった。
いうまでもなく、トーマス・グラバーの胸像である。
1961年(昭和36年)、長崎市長による顕彰の石碑である。貿易を営むかたわら近代的な造船、堀炭、製茶等の事業を起こし我が国の産業の発展に貢献したこと、薩長土肥の諸藩に協力して明治維新の大業に寄与したことが書かれている。
先ほども見たが、1908年(明治41年)に叙勲を受けたその3年後の1911年(明治44年)に73歳で亡くなっている。

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