2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その23~ハート・ストーンを見つけられるか~

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17時28分、順路に従って、グラバー園の旧オルト住宅から旧スティール・アカデミー(旧スティール記念学校)の方に向かって歩いた。
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細い道を下って行ったらすぐに着いた。
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旧スティール・アカデミーは東山手9番の英国領事館跡地に建てられ、1887年(明治20年)9月に開校した。
長崎では東山(とうざん)学院と呼ばれ、1932年(昭和7年)に東京の明治学院に合併されると明治学院第二中学部東山学院に校名が改称された。
その後も色々と変遷し、海星学園校舎と変遷した後、1972年(昭和47年)に海星学園より寄贈を受け、翌年グラバー園に移築し復元された。
残念ながら、ここも内部見学ができないため、無駄足だったなと思いながら来た道を戻ることにした。
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途中、石造りのローラーが置いてあった。
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こちらは芝生の手入れのために使われたローラーである。
明治初期、旧グラバー住宅と旧リンガー住宅の間に一帯は芝生の覆われていたとのことだ。
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旧リンガー住宅を越えて先ほどのテーブルとイスのある位置まで戻ってきた。
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銅像があったので近づいてみた。
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ジャコモ・プッチーニの銅像である。なんで?と思った。
すると、親しい友人が「蝶々夫人(マダム・バタフライ)の舞台が長崎やからか」と言った。
そういえば、グラバー園の石畳にハート・ストーンがあり、それを見つけられたら幸せにあるとかなんかあったなと思い、石畳を見た。
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これかなと思って親しい友人に聞くと「ハートには見えないな」と返された。
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順路に沿って歩くと西洋料理発祥の地と刻まれた石碑があった。自由亭というようだ。
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隣には日本西洋料理の開拓者草野丈吉の胸像があった。
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草野丈吉は1840年(天保11年)に長崎市内の農家に生まれ、21歳で出島のオランダ総領事のもとで働き、西洋料理を習得したそうだ。
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そして、1863年(文久3年)に24歳で自宅に小さな西洋料理専門店を開業したとのことで、来店客には三菱創業者岩崎弥太郎やジョン万次郎もいたそうだ。
1867年(慶応3年)、28歳のときに大阪に呼ばれ、42歳で大阪中之島に自由亭ホテルを開業し、46歳で神戸自由亭も開業したとのこと。
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この建物は1974年に洋風の意匠部分のみ移築された。
メニューを見るとアイスコーヒーはまあまあええ値段がしていた。
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順路に沿って歩いているとハート・ストーンを見つけた。
確かに、これはハートである。
二又に分かれる道を右手に歩いて階段を降りた。
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すると、右手に旧グラバー住宅が出て来た。
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グラバー邸の石畳の部分にもハート・ストーンがあるので、先にそちらを探した。
目を凝らして探した。
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このMは何か意味があるのだろうか。
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振り返って、旧グラバー住宅を見た。
中々、ハート形のストーンが見つからない。
集団でいてる方の一人が「見つけた」と言ったのが聞こえた。
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後でその場所に行くとハート・ストーンがあった。自力ではなかったが見つけることができた。
そして、旧グラバー住宅に入ることにしたのである。

HP

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この記事へのコメント

2024年12月09日 09:36
こんにちは。

グラバー園のハートストーン、何個見つかりましたでしょうか。
ネット上では、3個説と4個説がありますね。
ワタクシが市内を歩き回った時代には、ひとつも無かったかと思います。
「ハートストーンに触れると恋が叶う」という伝説だそうですが、
それが追跡調査に基づいた結果だったとしても、
データは2~30年分と言う事ですね。
中村裕司
2024年12月10日 12:26
結局、3個見つけました。
公式にも3個だと思います。

観光客を呼び寄せるためのものかと思っているのですが、一応裏付け、今風に言うとエビデンスがあるんですね(笑)。

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