2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その22~ナガサキ・ホテルのものが奈良ホテルで見つかる~

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17時20分、グラバー園の旧リンガー住宅に向かって歩いていた。
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左手の方に門があった。
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こちらはフリーメイソン・ロッジの門である。
フリーメイソンについては色々と言われることがあるが、元は中世イギリスで大聖堂を建てた石工らによって始められた友愛団体である。門柱にはフリーメイソンのマークが刻まれているそうだ。マークは確かにあったが、そもそも、フリーメイソンのマークを知らない私にはこれがそうなのか分からなかった。
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旧リンガー住宅にやってきた。
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こちらはトーマス・グラバーの弟アレキサンダーが1868年(明治元年)に建て、グラバー商会に招かれ、その後、ホーム・リンガー商会を立ち上げたフレデリック・リンガーが1874年(明治7年)に取得し、結婚を機に1883年(明治16年)から自邸とし、その後は次男が1965年(昭和40年)まで家族と過ごしたとのことだ。
中に入った。
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リンガー家と旧オルト住宅の説明書きと写真が展示されていた。旧オルト住宅はオルト商会を開業したウィリアム・オルトの自邸として1686年(明治元年)に大阪に移住するまで暮らしていた。
その後は、色々と使われて、1903年(明治36年)にリンガーが購入して、リンガーが亡くなってからはその妻カロリーナと長男フレドリック・エドワード・リンガーが住んでいたとのことだ。
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食堂に入ると真ん中にNと書かれたお皿や立派なカトラリーが展示されていた。
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こちらは、当時極東一豪華なホテルと謳われていたナガサキ・ホテルで使用されていたカトラリーセットである。
2013年(平成25年)に改装中の奈良ホテルで発見されたもので、その内、1セットが2015年(平成27年)に奈良ホテルから長崎市に寄贈されたそうだ。
どういう経緯で奈良ホテルに移ったのだろうか。
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この建物の模型は何か覚えていない。ナガサキ・ホテルだったのか否かも。
部屋を移動した。
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こちらは応接室である。立派な陶器やオルガンまである。
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こちらは居間である。応接室に比べたら、少し質素にしている。
庭に出て来た。海が見える。少し陽が落ちて来た。
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右手には世界遺産である明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産になっているジャイアント・カンチレバークレーンが見える。
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iPhone14でも撮ってみた。
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右手の方を見た。親しい友人が「やや左に見える山の上の方に鉄塔の辺りがや経緯を見る場所と違うか」と言った。私には分からない。左にジャイアント・カンチレバークレーンが見える。
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振り返って、旧リンガー住宅を見た。こちらは重要文化財に指定されている。
順路に沿って、移動することにした。
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振り返って、旧リンガー住宅を見た。
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順路通りに進んだのだが、旧オルト住宅は保存工事中で見えなかった。
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オルトは1860年(安政7年)、オルト商会を開業し、製茶業を足掛かりに貿易商で財をなした。
大阪に移住するまでここに住み、その後、色々と使われてからリンガーの長男一家が住んでいた。
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そのオルトと土佐藩士は関係が深いそうだ。
なるほどなあと思って見ていたのである。

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