2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その21~旧三菱造船第2ドックハウスのベランダから景色を見る~
17時2分、グラバー園の旧三菱造船第2ドックハウスの2階にあるベランダで長崎の町の景色を見ていた。

右手の方を見た。建物が多い。また、香港やモナコ(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/201610article_4.html)ほど丘陵地の角度はきつくないように見えた。

iPhone14でも撮ってみた。もちろん、香港やモナコのような高い建物もないが。

左手を見た。
こちらも船が見える。また、左手には橋が見える。女神大橋という。ここでいう女神はマリア様なのだろうか、それとも、海に関連する女神を指すのだろうか。

旧三菱造船第2ドックハウスを出てきて、池の方から記念写真を撮って貰った。
旧三菱造船ということは岩崎弥太郎とグラバーの関係が気になるところだが、もちろん、関係も深い。
郵便汽船三菱会社が高島炭鉱の経営を引き継いだ際は、グラバーが高島炭鉱の事務所の顧問を務め、グラバーの息子である倉場富三郎が東京の学習院へ転学する際、岩崎弥太郎がその手続きの保証人を引き受けているとのことだ。

少し右手の長崎駅方向を見た。もちろん、駅は見えない。左に見えるややオレンジ色の球体は長崎港ターミナルビル近くドラゴンプロムナードにある高さ19mの球体で、長く伸びた龍がその玉を追いかける姿を表現しているとのことだ。
もちろん、ここからは龍が見えない。

正面の方を撮った。左手に世界遺産である明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産になっているジャイアント・カンチレバークレーンが映っていた(この時は気が付かず)。

後日、切り取って拡大して見るとよく分かる。

やや左手を見た。船が出航していた。どこに向かう船だろうか。
一応、見終えて、順路通り、階段で下に降りることにした。

振り返って降りてきた階段をみた。

まあまあ、というか、建物2、3階分降りる。

横側を見た。上の部分に高島流和砲があるそうだ。

下まで降りて来た。高島流和砲の下の部分は人口の小さな滝みたいになっていた。ああ、水浴びをしたい。それほど暑いのだ。
順路の通り、下ってきた。

左手に旧ウォーカー住宅があった。
中に入ってみた。

食堂のようだ。

こちらは応接間か。

こちらはミシンやラジオがあり、プライベートな部屋なのであろう。

この旧ウォーカー住宅は、明治の中期(1890年頃)に大浦天主堂の祈念坂沿いに建てられたもので、様々な外国人がこの邸宅で暮らし、最後に、1915年(大正4年)にロベルト紹介を設立したロベルト・ウォーカーの次男であるロベルト・ウォーカー2世が購入した。
そして、1974年に移築された。

ベランダに出た。
最初からここに建てられていれば、いつでもこの景色を見られるのに・・・と思った。

窓の洋風建物らしい感じだ。
旧ウォーカー住宅を出て、さらに順路に沿って下った。

北側には水路みたいなものがあった。

テーブルがあった。ああ、ここで暑さしのぎにビールが飲みたいなと思ったのである。
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iPhone14でも撮ってみた。もちろん、香港やモナコのような高い建物もないが。
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こちらも船が見える。また、左手には橋が見える。女神大橋という。ここでいう女神はマリア様なのだろうか、それとも、海に関連する女神を指すのだろうか。
旧三菱造船第2ドックハウスを出てきて、池の方から記念写真を撮って貰った。
旧三菱造船ということは岩崎弥太郎とグラバーの関係が気になるところだが、もちろん、関係も深い。
郵便汽船三菱会社が高島炭鉱の経営を引き継いだ際は、グラバーが高島炭鉱の事務所の顧問を務め、グラバーの息子である倉場富三郎が東京の学習院へ転学する際、岩崎弥太郎がその手続きの保証人を引き受けているとのことだ。
少し右手の長崎駅方向を見た。もちろん、駅は見えない。左に見えるややオレンジ色の球体は長崎港ターミナルビル近くドラゴンプロムナードにある高さ19mの球体で、長く伸びた龍がその玉を追いかける姿を表現しているとのことだ。
もちろん、ここからは龍が見えない。
正面の方を撮った。左手に世界遺産である明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産になっているジャイアント・カンチレバークレーンが映っていた(この時は気が付かず)。
後日、切り取って拡大して見るとよく分かる。
やや左手を見た。船が出航していた。どこに向かう船だろうか。
一応、見終えて、順路通り、階段で下に降りることにした。
振り返って降りてきた階段をみた。
まあまあ、というか、建物2、3階分降りる。
横側を見た。上の部分に高島流和砲があるそうだ。
下まで降りて来た。高島流和砲の下の部分は人口の小さな滝みたいになっていた。ああ、水浴びをしたい。それほど暑いのだ。
順路の通り、下ってきた。
左手に旧ウォーカー住宅があった。
中に入ってみた。
食堂のようだ。
こちらは応接間か。
こちらはミシンやラジオがあり、プライベートな部屋なのであろう。
この旧ウォーカー住宅は、明治の中期(1890年頃)に大浦天主堂の祈念坂沿いに建てられたもので、様々な外国人がこの邸宅で暮らし、最後に、1915年(大正4年)にロベルト紹介を設立したロベルト・ウォーカーの次男であるロベルト・ウォーカー2世が購入した。
そして、1974年に移築された。
ベランダに出た。
最初からここに建てられていれば、いつでもこの景色を見られるのに・・・と思った。
窓の洋風建物らしい感じだ。
旧ウォーカー住宅を出て、さらに順路に沿って下った。
北側には水路みたいなものがあった。
テーブルがあった。ああ、ここで暑さしのぎにビールが飲みたいなと思ったのである。
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この記事へのコメント
旧ウォーカー住宅が最初からここに建てられていれば、
ウォーカーさんも、2日に1日しか働かなかったかもですよ。。
ソコのテーブルでのビール、、、大賛成です。
その後の上り下りでシンドくなったとしても、
それでも飲みたいです。。
でも、雨の日はどうするのか?
一長一短ですね。