2024長崎・佐賀・福岡旅行記1日目その20~動く歩道で上に登る~
16時48分、グラバー園に向かうために階段を登るのは、この暑さでは辛い。

そこで、併設された2本目のエスカレーターに乗って上がることにした。

上がると受付があった。

入園料620円を支払って、中に入った。

その前に、忘れずにパンフレットを受け取った。

このグラバー園は、1859年(安政6年)に長崎開港後、長崎に来住したイギリス商人トーマス・グラバー、リンガー、オルトの旧邸がこの長崎港を見渡す丘陵地に建ち並んでいた。
その後、所有者は移ったものの、長崎市が時間をかけて取得した。
1957年(昭和32年)には旧グラバー邸が一般公開された。
1966年(昭和41年)には旧リンガー邸も一般公開された。
1970年(昭和45年)には旧オルト住宅も一般公開された。
そして、1974年(昭和五49年)9月4日、グラバー園と名称を改めてオープンした。
だから、今年で50周年になるのである。
左手にある階段を登った。

階段を登ると動く歩道があったので、もちろん、そちらに乗った。

楽チンだが、暑い。こんな感じで上に登って行く。

でも、景色は良い。

見慣れない景色となった。どの方角を登っているのか分からない。

いや、真ん中に塔が見えた。あれが大浦天主堂であろう。大浦天主堂の奥に進んでいるということか。

動く歩道を降りた。

少し下がった所に洋館が見えた。

ルートマップを見ると旧自由亭とのことだ。
また、ここからもう1本動く歩道に乗るようだ。
少し登って、また動く歩道に乗った。

ここからは歩くようだ。左手は車いすスロープがある。

登った所に旧三菱造船第2ドックハウスがあった。

この建物は1896年(明治29年)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎とのことだ。
もっとも、当初は造船所内の第2ドックに隣接して建っていて、1972年(昭和47年)まで使用されていた。
同年に、この場所に移築されたとのことだ。

また、対岸に見える現在の工場のジャイアント・カンチレバークレーン(1909年完成)と第三船渠(1905年完成)は世界遺産である明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産になっているとのことだ。
中に入った。
1階にはレトロ写真館があった。
2階に上がった。特に何か展示されているわけではない。
ちょっと、がっかりした。
ベランダに出てみた。

対岸が見えた。舟も何隻かある。あの辺りが三菱重工業株式会社長崎造船所だろう。世界遺産の構成資産であるジャイアント・カンチレバークレーンがどれかははっきり分からなかった。

後日、写真を切り取って拡大してみると中央に映っているのがそうなのかもしれない。

下には池が見えた。
美しい景色を味わっていたのである。
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そこで、併設された2本目のエスカレーターに乗って上がることにした。
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入園料620円を支払って、中に入った。
その前に、忘れずにパンフレットを受け取った。
このグラバー園は、1859年(安政6年)に長崎開港後、長崎に来住したイギリス商人トーマス・グラバー、リンガー、オルトの旧邸がこの長崎港を見渡す丘陵地に建ち並んでいた。
その後、所有者は移ったものの、長崎市が時間をかけて取得した。
1957年(昭和32年)には旧グラバー邸が一般公開された。
1966年(昭和41年)には旧リンガー邸も一般公開された。
1970年(昭和45年)には旧オルト住宅も一般公開された。
そして、1974年(昭和五49年)9月4日、グラバー園と名称を改めてオープンした。
だから、今年で50周年になるのである。
左手にある階段を登った。
階段を登ると動く歩道があったので、もちろん、そちらに乗った。
楽チンだが、暑い。こんな感じで上に登って行く。
でも、景色は良い。
見慣れない景色となった。どの方角を登っているのか分からない。
いや、真ん中に塔が見えた。あれが大浦天主堂であろう。大浦天主堂の奥に進んでいるということか。
動く歩道を降りた。
少し下がった所に洋館が見えた。
ルートマップを見ると旧自由亭とのことだ。
また、ここからもう1本動く歩道に乗るようだ。
少し登って、また動く歩道に乗った。
ここからは歩くようだ。左手は車いすスロープがある。
登った所に旧三菱造船第2ドックハウスがあった。
この建物は1896年(明治29年)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎とのことだ。
もっとも、当初は造船所内の第2ドックに隣接して建っていて、1972年(昭和47年)まで使用されていた。
同年に、この場所に移築されたとのことだ。
また、対岸に見える現在の工場のジャイアント・カンチレバークレーン(1909年完成)と第三船渠(1905年完成)は世界遺産である明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産になっているとのことだ。
中に入った。
1階にはレトロ写真館があった。
2階に上がった。特に何か展示されているわけではない。
ちょっと、がっかりした。
ベランダに出てみた。
対岸が見えた。舟も何隻かある。あの辺りが三菱重工業株式会社長崎造船所だろう。世界遺産の構成資産であるジャイアント・カンチレバークレーンがどれかははっきり分からなかった。
後日、写真を切り取って拡大してみると中央に映っているのがそうなのかもしれない。
下には池が見えた。
美しい景色を味わっていたのである。
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この記事へのコメント
長崎はホントに坂と階段の街ですね。
ワタクシはエスカレーターも動く歩道も記憶にないので、
作られる前に訪問したのか、、記憶が違っているのか。。。
いずれにしましても、、、
グラバーさん、リンガーさん、オルトさん、、みんな階段を上り下りして暮らしていたのでしょう。
昔のヒトは元気アリアリですね。
最近といっても、平成に入ってからでしょうが。
この坂道は大変です。
こんな所に住んだら、2日に1日しか出勤したくないかも(笑)。
でもこれは昔は無かった気がするんですが、最近作られたんですかね?
11年前に長崎に行った時は、トルコライスを食べるのが先決でこちらはスルーしちゃったんです
こうしてブログで見ると行けば良かったなぁと思いました
いつか行きたいです
やっぱり、子供の頃に行くのと大人になってから行くのとは感じ方が違いますね。
横浜からだと飛行機になりますね。