2024長野・松本旅行記3日目その22~中山道の宿場沿いを走っている~
特急しなの18号は名古屋に向かって快調に走っていた。

16時18分、ホームが見えた。

ホームを通り過ぎた。

通り過ぎてから駅舎が見えた。奈良井駅である。
こちらには中山道34番目の宿場である奈良井宿があり、江戸時代から曲げ物、木曽漆器などの木工業が盛んで、そのため、旅の土産物として木工製品が人気があったそうだ。
また、現在では重要伝統的建造物保存地区として繁栄した当時の町並みが保存されているとのこと。
特急で通り過ぎるのではなく、こういう町を訪れてみたい。
ちなみに、先ほどの通り過ぎた贄川駅前にある贄川宿は33番目の宿場で、今は枯れてしまったが、昔は温泉が湧いていたそうだ。

16時22分、藪原駅を通り過ぎた。
こちらは中山道35番目の宿場である藪原宿がある。尾張藩が設置した鷹祥の役所があったとのこと。

山の間を走っている。

家が見えた。中山道沿いを走っているから、意外とと言っては失礼だが、家が多い。

16時26分、宮ノ越駅を通過した。

ホームの端に駅舎が見えた。似たような駅舎が多い気がする。

家が多い。先ほどから失礼なことを言っているが、都会である。
それもそのはず、中山道36番目の宿場である宮ノ越宿がある。奈良井宿よりも大きい宿場町なんだろう。
かつては、木曽川の水を使った用水が宿場を流れていたそうだ。
もっとも、宿場関連の史跡よりも木曽義仲関連の史跡が多いそうだ。

一転、のどかな風景となった。通り過ぎるだけの町なんだろう。

野球場が見えた。

ちゃんと、ナイター設備もある。日義野球場というそうだ。義は木曽義仲から来ているのだろうか。
もっとも、このような町、あるいは近隣の町と合わせて何チームほど野球チームがあるのだろうか。試合に使われているような気もしないが、実際はどうなんだろう。
近くの学校のクラブ練習で使うのだろうか。

16時28分、原野駅を通り過ぎた。目の前は山だが、反対側には町があった(通路を挟んだ隣席は人がいるので写真は撮れない)。

ポツポツと家が見えた。

そこから家が増えだした。

今まで見た中で一番大きい町中という感じだ。

ということは、ここも宿場町だったんだなとすぐに感じた。
間もなく、木曽福島駅に到着する旨の車内アナウンスが流れた。
なるほど、だからかと納得をした。

16時31分、木曽福島駅のホームに入線した。

SL列車が展示されていた。
後で調べてみると、D51775で、いわゆる、デゴイチである。
製造年月日が1942年(昭和17年)で、さよなら運転が1973年(昭和48年)8月26日とのことだ。木曽福島機関区で最期を迎えたとのこと。なぜ、展示されるに至ったかまでは分からなかった。

特級しなのはゆっくりと停車した。

16時32分、木曽福島駅に到着したのである。
事務所HPです。
ブログランキングに参加しています。
Facebookのいいねを押すよりも
こちらをワンクリックしてくだされば励みになります。
↓

にほんブログ村
16時18分、ホームが見えた。
ホームを通り過ぎた。
通り過ぎてから駅舎が見えた。奈良井駅である。
こちらには中山道34番目の宿場である奈良井宿があり、江戸時代から曲げ物、木曽漆器などの木工業が盛んで、そのため、旅の土産物として木工製品が人気があったそうだ。
また、現在では重要伝統的建造物保存地区として繁栄した当時の町並みが保存されているとのこと。
特急で通り過ぎるのではなく、こういう町を訪れてみたい。
ちなみに、先ほどの通り過ぎた贄川駅前にある贄川宿は33番目の宿場で、今は枯れてしまったが、昔は温泉が湧いていたそうだ。
16時22分、藪原駅を通り過ぎた。
こちらは中山道35番目の宿場である藪原宿がある。尾張藩が設置した鷹祥の役所があったとのこと。
山の間を走っている。
家が見えた。中山道沿いを走っているから、意外とと言っては失礼だが、家が多い。
16時26分、宮ノ越駅を通過した。
ホームの端に駅舎が見えた。似たような駅舎が多い気がする。
家が多い。先ほどから失礼なことを言っているが、都会である。
それもそのはず、中山道36番目の宿場である宮ノ越宿がある。奈良井宿よりも大きい宿場町なんだろう。
かつては、木曽川の水を使った用水が宿場を流れていたそうだ。
もっとも、宿場関連の史跡よりも木曽義仲関連の史跡が多いそうだ。
一転、のどかな風景となった。通り過ぎるだけの町なんだろう。
野球場が見えた。
ちゃんと、ナイター設備もある。日義野球場というそうだ。義は木曽義仲から来ているのだろうか。
もっとも、このような町、あるいは近隣の町と合わせて何チームほど野球チームがあるのだろうか。試合に使われているような気もしないが、実際はどうなんだろう。
近くの学校のクラブ練習で使うのだろうか。
16時28分、原野駅を通り過ぎた。目の前は山だが、反対側には町があった(通路を挟んだ隣席は人がいるので写真は撮れない)。
ポツポツと家が見えた。
そこから家が増えだした。
今まで見た中で一番大きい町中という感じだ。
ということは、ここも宿場町だったんだなとすぐに感じた。
間もなく、木曽福島駅に到着する旨の車内アナウンスが流れた。
なるほど、だからかと納得をした。
16時31分、木曽福島駅のホームに入線した。
SL列車が展示されていた。
後で調べてみると、D51775で、いわゆる、デゴイチである。
製造年月日が1942年(昭和17年)で、さよなら運転が1973年(昭和48年)8月26日とのことだ。木曽福島機関区で最期を迎えたとのこと。なぜ、展示されるに至ったかまでは分からなかった。
特級しなのはゆっくりと停車した。
16時32分、木曽福島駅に到着したのである。
事務所HPです。
ブログランキングに参加しています。
Facebookのいいねを押すよりも
こちらをワンクリックしてくだされば励みになります。
↓

にほんブログ村
この記事へのコメント
木曽の宿場は旅情がアリアリですよね。
ゆっくりと歩いてみたいですけれど、
馬籠とか妻籠とか、人気の宿場はインバウンドまみれになっていそうな。。
かつての旅人は、、、
買ったオミヤゲは全て持ち歩き、旅の費用は現金で全額持ち歩き、、
大変だったでしょうね。。
買ったお土産は飛脚で送りますが。
お金が無くなれば、自動無人機に頼ります。