2024長野・松本旅行記3日目その19~長野県で小学校に入る際に購入する図書袋とは~
14時39分、県宝旧司祭館の2階にて、開智学校の教室を模した部屋にいてた。
私も選挙の際は母校の小学校が会場となるため訪れるが、閉まっているため部屋には入れない。
そのため、机がこんなに小さかったか覚えていない。明治時代のものを復元した机である。
長野県内の多くの小学校では子供が入学するときに図書袋を用意するように言われているそうだ。図書袋とは、学校の図書館で借りた本を入れるための肩掛けカバン風の袋であり、必須アイテムとのことだ。
そういえば、長野県は教育県と聞いたことがある。図書袋もそんなところから来ているのかな。
こちらは歴代の開智学校の校長先生の写真である。
長野県で小学校に校長職が設けられるようになったのは1882年(明治15年)以降とのことで1873年(明治6年)の開校から10年近く経ってのことで、それまでの地域の代表者が担っていたとのことである。
こちらは黒板である。
明治38年度の男子部日誌が貼られていて、高3,4の生徒と教員が共同して植物園、農業実験場のみならず、テニスコートを作るのか、1905年(明治38年)にと思った。
黒板側から机を見た。可愛らしい机だ。小学校低学年用であろう。
一通り見たので、旧司祭館を出て来た。
そして、近くにあるバス停に向かうことにした。
国宝旧開智学校の側面である。手前右にあるのが工事関係の建物である。
塔の上にある東西南北の避雷針?を見た。確かに。私たちは旧開智学校から見て西側にいてる。
開智小学校の案内と松本市まちめぐり案内である。地図は上が東で、左が北になって現わされている。
バスが14時45分にやってきた。折り返し運転のょうだ。
バスから欧米の方2名が降りてこられた。それから私たちは乗り込み席に着いた。
すると、先ほどの欧米の方2名がまたバスに乗ってきた。
いやいや、次のバスが来るまで国宝旧開智学校の前や旧司祭館を見に行ったらと思ったが、英語が話せないので何も言えなかった。
14時50分、バスは松本駅に向かって出発した。
松本市役所を越えたらテレビ信州の建物が見えた。
ここで親しい友人と松本駅で降りるよりも一つ手前で降りる方がスーツケースを預けている御宿野乃さんに近いのでは?という話になった。
駅前の大通りを渡るのに時間が掛かるだろう、大通りを渡っても再度通りを渡らないといけないので、時間の無駄だ。
ということで、15時、一つ手前のバスターミナル北で降りることにした。
駅前の大通りを左手(南側)に曲がった。
それから、ホテルまで歩くことにした。
ここのコンビニで少しだけお金を降ろした。親しい友人から「最後に鬼や下を買う気やな、買いすぎやで」と注意されたが無視した。
見慣れたミニビジネス街をホテルに向かって南に歩いた。
15時8分、ホテルが見えた。
ホテルに入り、スーツケースを受け取り、お土産を中に入れた。
お手洗いも済ませて、15時20分ホテルを出たのである。
事務所ホームページ
ブログランキングに参加しています。
Facebookのいいねを押すよりも
こちらをワンクリックしてくだされば励みになります。
↓

にほんブログ村
この記事へのコメント
図書袋は長野県の風物詩。。
東京育ちのワタクシは、使った事がありません。
長野オンリーなものはアレコレありまして、、、
食べ物だとイナゴの佃煮、ハチノコなどなど。
ワタクシは、ハチノコは全くダメです。。
だってイモムシぢゃないですか。。オエ。。
外食5回で3回がおそば、1回が焼肉だから当たり前かも。
まあ、見かけても見なかったフリをしますが(^^)。