2024長野・松本旅行記3日目その7~火縄銃のアレコレを知る~
12時、国宝松本城の1階にて内部の見学をしていた。
戦国時代に建てられたものだから(諸説あるようだが)、矢狭間や鉄砲狭間が多い。矢狭間は60か所、鉄砲狭間は55か所ある。

鯱らしきものが見えたので近づいて見るとやはり、鯱だった。

横から見るとこんな感じだ。

天守大棟の鯱という。想像上の動物で、大海を水を飲み干し、非常の場合にはこれを吐き出して身を守ると言われていることから火災除けのまじないとして天守などの大棟にあげられ、棟飾りに使われているとのことだ。

大木である。

これは天守の土台支持柱である。天守の土台は、天守台の中に埋められていた16本の土台支持柱によって支えられていたことが昭和の修理で分かったそうだ。
碁盤目状に16本建てられていた。

松本城天守の構造の説明書きである。

懸魚芯材(けぎょしんざい)である。辰巳附櫓のものである。

松本城天守の千鳥破風と入母屋波風には「かぶら懸魚」が取り付けられているとのことだ。
1周して2階に上がった。

天守2階は、8室に部屋割りをされていたようで、武者窓からの明かりも多く、有事には武者たちの永署に当てる音ができたそうだ。

2階は松本城鉄砲蔵の展示がなされているようだ。

我が国に火縄銃が伝わったのは1543年(天文12年)で、松本城天守はその50年年後の1593年から1594年にかけて築城された。そのため、火縄銃の興亡を予想して築かれたのである。
ここには松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した141艇の火縄銃・表装品の内、一部が展示されているそうだ。
これは単なる窓か、鉄砲窓だろうか。ここからだと人があんなに小さいから当たらないような気がする。

火縄銃が展示されていた。

木製の火縄銃のようだ。
残念ながら、ゴルゴ13の愛用のM16A2は見当たらない。当たり前か。
それより、今もゴルゴ13はM16A2を愛用しているのだろうか。最近読んでいないからわからない。

大型火縄銃と馬上筒の説明書きである。
日本最初の大筒は1576年(天正4年)、大友宗麟がポルトガルから入手したとのことで、近江の国友や泉の堺で製造された。
筒の短い馬上筒は、加藤清正が武器として取り入れたそうだ。

鉄砲ができるまでの説明書きである。

銃身と銃床、カラクリから成り立っていて、銃身は鉄砲師が、銃床は台飾が、カラクリは金具師がそれぞれ作る分業制だ。

銃身と銃床である。銃床は木をこのように線引いてから切って作るのであろう。

火縄銃の制作地と特徴の説明書きでる。
鉄砲伝来からほぼ10年の間に優秀な刀匠集団により、九州。禁忌を中心に大量に生産されたそうだ。
薩摩藩(鹿児島)、和歌山の根来筒(紀州筒)が有名のようだ。

これらは小筒と書かれている。銃身の短い銃ということか。

また、徳島の阿波筒、大阪の堺筒、岡山の備前筒、滋賀の国友筒・日野筒、宮城の仙台筒も有名のようだ。

よくこの状態で保存されているなと思った。

天下をねらう人々と鉄砲の広がりという説明書きである。
なるほどなあと思い、見ていたのである。
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戦国時代に建てられたものだから(諸説あるようだが)、矢狭間や鉄砲狭間が多い。矢狭間は60か所、鉄砲狭間は55か所ある。
鯱らしきものが見えたので近づいて見るとやはり、鯱だった。
横から見るとこんな感じだ。
天守大棟の鯱という。想像上の動物で、大海を水を飲み干し、非常の場合にはこれを吐き出して身を守ると言われていることから火災除けのまじないとして天守などの大棟にあげられ、棟飾りに使われているとのことだ。
大木である。
これは天守の土台支持柱である。天守の土台は、天守台の中に埋められていた16本の土台支持柱によって支えられていたことが昭和の修理で分かったそうだ。
碁盤目状に16本建てられていた。
松本城天守の構造の説明書きである。
懸魚芯材(けぎょしんざい)である。辰巳附櫓のものである。
松本城天守の千鳥破風と入母屋波風には「かぶら懸魚」が取り付けられているとのことだ。
1周して2階に上がった。
天守2階は、8室に部屋割りをされていたようで、武者窓からの明かりも多く、有事には武者たちの永署に当てる音ができたそうだ。
2階は松本城鉄砲蔵の展示がなされているようだ。
我が国に火縄銃が伝わったのは1543年(天文12年)で、松本城天守はその50年年後の1593年から1594年にかけて築城された。そのため、火縄銃の興亡を予想して築かれたのである。
ここには松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した141艇の火縄銃・表装品の内、一部が展示されているそうだ。
火縄銃が展示されていた。
木製の火縄銃のようだ。
残念ながら、ゴルゴ13の愛用のM16A2は見当たらない。当たり前か。
それより、今もゴルゴ13はM16A2を愛用しているのだろうか。最近読んでいないからわからない。
大型火縄銃と馬上筒の説明書きである。
日本最初の大筒は1576年(天正4年)、大友宗麟がポルトガルから入手したとのことで、近江の国友や泉の堺で製造された。
筒の短い馬上筒は、加藤清正が武器として取り入れたそうだ。
鉄砲ができるまでの説明書きである。
銃身と銃床、カラクリから成り立っていて、銃身は鉄砲師が、銃床は台飾が、カラクリは金具師がそれぞれ作る分業制だ。
銃身と銃床である。銃床は木をこのように線引いてから切って作るのであろう。
火縄銃の制作地と特徴の説明書きでる。
鉄砲伝来からほぼ10年の間に優秀な刀匠集団により、九州。禁忌を中心に大量に生産されたそうだ。
薩摩藩(鹿児島)、和歌山の根来筒(紀州筒)が有名のようだ。
これらは小筒と書かれている。銃身の短い銃ということか。
また、徳島の阿波筒、大阪の堺筒、岡山の備前筒、滋賀の国友筒・日野筒、宮城の仙台筒も有名のようだ。
よくこの状態で保存されているなと思った。
天下をねらう人々と鉄砲の広がりという説明書きである。
なるほどなあと思い、見ていたのである。
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この記事へのコメント
火縄銃の最大射程距離は500m、
人を狙える有効射程距離は100mほどだそうで、
写真の人物はみんな撃たれちゃいますね。。
当時にも、ゴルゴ13のようなスナイパーが居たかもですよ。
「それがしの後ろに立つなと申しているであろうが!」
などと言うんでしょうね。
でも、徳川家康なんかはそんな感じだったのかも知れませんね。
知らんけど(^^)。