2024金沢旅行記2日目その10~末森城合戦の一番槍を果たした結果・・・~

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11時21分、加賀藩1200石武家屋敷跡野村家の前に来ていた。
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1583年(天正11年)、前田利家が金沢城に入城した際、直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高1200石と累進し、この地に1000有坪の屋敷を拝領したとのことだ。
その後、家督は11代まで続き、代々御馬廻組組頭、各奉行職を歴任し、1871年(明治4年)の廃藩まで続いた由緒深い家柄とのことだ。
もっとも、古木、曲水の庭園の一部を残し、館を取り払い分割され、住人も色々と変わったが、昭和初期の傑商久保彦兵衛の豪邸の一部の上段の間と謁見の間をこちらに移築しているとのことだ。
要は、江戸時代に比べたら、土地も建物も縮小されていて、上段の間と謁見の間は別人の家から持ってきたということだ。
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それでも、加賀文化を知る貴重な文化遺産ということもあり、入館することにした。
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入館料550円を支払い、パンフレットを受け取った。
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入ってすぐに野村伝兵衛が1584年(天正12年)の能登末森城の戦いで着用していた鎧が迎えてくれた。
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末森城合戦は、秀吉派の前田利家の重臣である奥村家富が末森城を守っていて、家康派になった越中の佐々成政が末森城を攻めた戦いである。この戦いで金沢城から前田利家と利長が佐々軍の背後から強襲して勝利を収めた。その際、野村伝兵衛は一番槍を果たし、利家公から感状を授けられ、千石の加増となったとのことだ。一番槍を果たしたのは良いが、その後、良く殺されずに生き延びたなと思った。
同じく、この鎧も今まで良く残っていたなとも思った。
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左手に向かった。
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永禄から明治までの年表があった。それにしても歴史の長さを感じる。
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控えの間に入った。
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そして、奥の間を見た。
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奥の間の上にある欄間はそれほど豪勢ではない。今まで色々な場所で武家や豪商の屋敷を見てきたからだろうか。
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奥の間から控えの間、謁見の間、仏間を見た。
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控えの間に戻り、謁見の間、仏間を見た。 
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謁見の間に移り、上段の間を見た。この謁見の間と上段の間は、加賀の支藩大聖寺潘下橋立村の傑商久保彦兵衛の豪邸から移築したものである。
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襖は狩野派の最高峰である法眼位の佐々木泉景筆による山水画である。
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謁見の間から控えの間、奥の間を見た。
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謁見の間から庭を見た。庭の組石は400年前の金沢城の石垣として切り出されたときに搬出不能として山に残されていた石だそうだ。
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こちらが上段の間である。左が14代藩主慶寧(よしやす)公の筆で、右が13代藩主斉泰(なりやす)公の筆である。
斉泰の方は最初の文字が梅であることは分かるがそれ以外は分からない。
慶寧にいたっては全く読めない。
学が無くて、すいませ~ん。
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上段の間から見た庭である。
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パンフレットを読むと多宝塔、西乃屋形、各種の春日灯籠、六尺に及ぶ大雪見灯篭が配されているそうだが、よく分からなかった。
それでも、立派な庭だなあと思ったのである。

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この記事へのコメント

2024年06月10日 10:17
こんにちは。

どこまで忠実な再現かは判りませんですけれど、
やっぱり、足軽ハウスとは格が違うように感じられますね。
末森城合戦で負けた佐々成政さんは、
伝説の北アルプス越えに挑む訳ですね。
中村裕司
2024年06月10日 12:03
1200石は伊達じゃあありませんね。
失意の北アルプス超えでよく死ななかったと思いますよ。
自棄っぱちになって・・・。
いや、まだ再起に燃えていたのかな。

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