2022餘部・城崎旅行記3日目その20~瓦一枚運動などで再建された福知山城を撮る~

特急こうのとり22号は16時41分に福知山駅に到着した。ここでお客さんがたくさん乗ってきた。
福知山駅では京都駅に向かう特急はしだてなどがあり、京都駅方面に向かう人や、天橋立方面から大阪方面に向かうのであれば、ここで乗り換えとなるからである。
16時47分、福知山駅を出発した。
私たちの隣の席は1席を残し、その前2席も埋まった。
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すぐに反対側の席の窓から福知山城が見えた。
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少し夕陽に染まって奇麗である。
元々、福知山城は1579年に明智光秀によって城下町と共に築かれたものである。
もっとも、当時は明智の智を取って福智山城と名付けられていたそうだ。
山崎の戦で明智光秀が敗れた後は羽柴秀勝が城主となり、その後は城主が入れ替わったりしたが、1669年に土浦城の朽木稙昌(くちきたねまさ)が福知山藩の藩主となり、以後、1869年の200年間を朽木氏が世襲してこの地を治めた。
そして、1873年の廃城令により天守は失われた。
1984年には福知山城再建のため1口3000円の寄付を募る「瓦一枚運動」などで5億円以上の寄付が集まり、1985年に小天守が、1986年には大天守が完成したものである。
福知山を出て少しして、特急こうのとりは京都府から兵庫県に入った。
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17時1分、黒井駅を通過した。
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17時4分、まだまだ9月で夏という感じだが、少し陽が暮れ始めてきた。
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17時6分、駅が見えた。
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17時7分、柏原駅に到着した。
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柏原と書いてかいばらと読むようだ。
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こちらは城下町柏原観光案内図が設置されていた。ここ柏原は戦国時代・江戸時代に丹波国柏原藩があり、その初代藩主は織田信長の弟である織田信包(おだのぶかね)が1598年から藩主として治めていた。
その後は、信包の子孫がこの地を治めたとのことだ。
国指定の柏原藩陣屋跡や長屋門、太鼓やぐらなどの歴史遺産が随所にあるとのことだ。
まさに、城下町である。
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山を見ると剥げている部分があった。土砂崩れでも起きたのだろうか。
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17時25分、JA丹波ささやまが見えた。
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そして、線路が増えていった。
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ホームが見えた。大きそうな駅である。
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17時26分、篠山口駅に到着した。ここでも数人降りて、同じくらいの人が乗ってきた。
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17時30分、南矢代駅を通過した。
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17時32分、草野駅を通過した。
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少しして高速道路が見えた。2014年に全線開通した舞鶴若狭自動車道である。兵庫県三木市の吉川ジャンクションから福井県敦賀市の敦賀ジャンクションへと至る高速道路で、168km強ある。
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奇麗に木の葉がない木が見えた。
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17時34分、藍本駅を通過した。人が立って電車を待っていた。17時51分篠山口駅行きを待っているのだろうか。
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17時40分、広野駅を通過した。
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すこしして、電車がたくさん見えた。車両基地のように見えたが、新三田駅電留線である。
ここで、アレがないことに気が付いたのである。

HP


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