2022餘部・城崎旅行記2日目その7~しがない裕司ではなく、志賀直哉ゆかりの旅館~
10時42分、四所神社での猿まわしショーを見終えて、湯の里通りを西に歩いていた。

お寺が見えた。

浄土真宗本願寺派の宝池山蓮成寺さんである。ひっそりとしていた。

比較的大きな旅館が見えた。喜楽さんである。

その隣にも大きな旅館があった。三木屋さんである。そう、しがない裕司ではなく、志賀直哉氏が宿泊して「城崎にて」を執筆していた旅館である。
すなわち、志賀直哉氏は1913年(大正2年)に山手線に轢かれて重傷を負い、両状に城崎温泉に訪れ、ここ三木屋さんに3週間ほど逗留したのである。
それ以降も、志賀直哉氏は執筆のため、1人で、また白樺派の友人たちと度々三木屋さんに訪れたそうだ。
また、建物自体は地震のため倒壊したものの、1927年(昭和2年)に再建され、再建以降に志賀直哉氏が愛用した部屋は志賀直哉ゆかりの客室として宿泊できるとのこと。
ああ、私も泊まってみたかった(笑)。
加えて、家紋があったので由緒ある旅館なのだろうと思ったら、1580年の豊臣秀吉による三木合戦(三木の干し殺し)により落ち延びた城崎にやってきた三木城(兵庫県三木市)の城兵の子孫が元禄年間に自身の起源である三木城と城主を偲び、三木屋と名付けて旅館を営んだのが始まりで、300年以上を経て現在は10代目が営んでいるとのことだ。

手前は三木屋さんの駐車場である。

さらに西に歩くとさんぽう西村屋本店があった。こちらは城崎温泉といえば西村屋というほど有名な高級旅館西村屋さんが手掛ける日本料理店である。
もっとも、1階はギフトストアがあるので入ってみた。

そして、ここで塩を購入した。

さんぽう西村屋さんを出て西を見ると小さな祠のようなものが見えた。
奥に進んでみた。

三柱神社(みはしらじんじゃ)という。

御祭神は三宝荒神である。三宝荒神は火と竈の神様として信仰され、四所神社建立以前より、土地の守り神として篤く信仰されていたと伝えられている。

こちらがその三宝荒神だろうか。

賽銭を入れて鐘を鳴らし旅の無事を拝んだ。

帰り道、参道を見るとどんぐりが落ちていて、秋の気配を一瞬感じた。
湯の里通りに戻るとベンツのオープンカーやBMWなどが旅館から出て行った。

そう、その旅館こそが西村屋さんである。

こちらは江戸・安政年間創業で160年余りの歴史のある旅館である。

親しい友人が「私が泊まりたかった西村屋~」と叫んでいたが(大袈裟)、出ていく車を見ると、確かに、高級老舗旅館の佇まいである。

その西村屋さんの前にはつたや旅館さんがある。

その一角に「維新史蹟木戸松菊公遺蹟」の記念碑があった。

1864年(元治元年)7月、京都で蛤御門の変が起き、幕府から追われる身となった桂小五郎(木戸孝允)は、但馬後に身を潜め再起のときを窺っていた。但馬から出石、そして、城崎のつたや旅館さんの前身となる松本屋に身を移していたとのことである。

また、後に桂小五郎(木戸孝允)の夫人となる幾松(木戸松子)も滞在していたそうだ。
城崎滞在から1か月ほどして菊松と共に再起をかけ、但馬を後にしたそうだ。
先月の山陰旅行で訪れた山口といい(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/498327677.html)、桂小五郎(木戸孝允)と縁を感じたのである。
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比較的大きな旅館が見えた。喜楽さんである。
その隣にも大きな旅館があった。三木屋さんである。そう、しがない裕司ではなく、志賀直哉氏が宿泊して「城崎にて」を執筆していた旅館である。
すなわち、志賀直哉氏は1913年(大正2年)に山手線に轢かれて重傷を負い、両状に城崎温泉に訪れ、ここ三木屋さんに3週間ほど逗留したのである。
それ以降も、志賀直哉氏は執筆のため、1人で、また白樺派の友人たちと度々三木屋さんに訪れたそうだ。
また、建物自体は地震のため倒壊したものの、1927年(昭和2年)に再建され、再建以降に志賀直哉氏が愛用した部屋は志賀直哉ゆかりの客室として宿泊できるとのこと。
ああ、私も泊まってみたかった(笑)。
加えて、家紋があったので由緒ある旅館なのだろうと思ったら、1580年の豊臣秀吉による三木合戦(三木の干し殺し)により落ち延びた城崎にやってきた三木城(兵庫県三木市)の城兵の子孫が元禄年間に自身の起源である三木城と城主を偲び、三木屋と名付けて旅館を営んだのが始まりで、300年以上を経て現在は10代目が営んでいるとのことだ。

手前は三木屋さんの駐車場である。
さらに西に歩くとさんぽう西村屋本店があった。こちらは城崎温泉といえば西村屋というほど有名な高級旅館西村屋さんが手掛ける日本料理店である。
もっとも、1階はギフトストアがあるので入ってみた。
そして、ここで塩を購入した。
さんぽう西村屋さんを出て西を見ると小さな祠のようなものが見えた。
奥に進んでみた。
三柱神社(みはしらじんじゃ)という。
御祭神は三宝荒神である。三宝荒神は火と竈の神様として信仰され、四所神社建立以前より、土地の守り神として篤く信仰されていたと伝えられている。
こちらがその三宝荒神だろうか。
賽銭を入れて鐘を鳴らし旅の無事を拝んだ。
帰り道、参道を見るとどんぐりが落ちていて、秋の気配を一瞬感じた。
湯の里通りに戻るとベンツのオープンカーやBMWなどが旅館から出て行った。
そう、その旅館こそが西村屋さんである。
こちらは江戸・安政年間創業で160年余りの歴史のある旅館である。
親しい友人が「私が泊まりたかった西村屋~」と叫んでいたが(大袈裟)、出ていく車を見ると、確かに、高級老舗旅館の佇まいである。
その西村屋さんの前にはつたや旅館さんがある。
その一角に「維新史蹟木戸松菊公遺蹟」の記念碑があった。
1864年(元治元年)7月、京都で蛤御門の変が起き、幕府から追われる身となった桂小五郎(木戸孝允)は、但馬後に身を潜め再起のときを窺っていた。但馬から出石、そして、城崎のつたや旅館さんの前身となる松本屋に身を移していたとのことである。
また、後に桂小五郎(木戸孝允)の夫人となる幾松(木戸松子)も滞在していたそうだ。
城崎滞在から1か月ほどして菊松と共に再起をかけ、但馬を後にしたそうだ。
先月の山陰旅行で訪れた山口といい(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/498327677.html)、桂小五郎(木戸孝允)と縁を感じたのである。
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