2022山陰旅行記7日目その12~木戸孝允(桂小五郎)の書を見ることができるなんて~
11時54分、山口市菜香亭に来ていた。菜香亭は山口の迎賓館として地元出身の総理大臣などもてなしていた場所でもある。
もっとも、今いている菜香亭は移築復元されたもので、その大広間で有名政治家の扁額を見ていた。

「我が道を行く」の書が掲げられていた。こちらも字が奇麗だ。

書いたのは島根県出身の元総理の竹下登である。佐藤派の議員として若かりし頃より菜香亭を訪れていたとのことで、この書は総理を辞められた後に書いたものだそうだ。

「敬天愛人(てんをうやまいひとをあいす)」の書が掲げられていた。天を敬い、人を愛するという意味である。

書いたのは西郷隆盛の甥で、元陸軍大佐の西郷従徳(つぐのり)である。

佐藤栄作と田中角栄が一緒に映っている写真である。佐藤栄作にお酌をしているのが菜香亭5代目主人の齋藤清子さん、通称、おごうさんである。
大広間の上の間に移動した。

「江山豁如(こうざんかつじょ)」の書が掲げられていた。山野が開けて眺めが良いという意味である。

書いたのは萩市出身の元総理で陸軍元帥の山形有朋である。

こちらは「一家天地自春風(いっかのてんちおのずからしゅんぷう)」の書が掲げられていた。みんなが一つの家族のようになったらおのずと春風が吹くという意味である。

書いたのは光市出身の初代総理である伊藤博文である。

印鑑をみた。あまり色褪せていないので保存状態が良い。「売ったらいくらするのだろう」と親しい友人に言うと「出た、妖怪ゲセワセワ(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/202209article_31.html)」と言われた。

大広間の上の間にある大木である。

「快作楽(かいをたのしみとなす)」の書が掲げられていた。何事も気持ち次第で喜びとなるという意味である。

書いたのは公家で元総理の三条実美である。

達筆すぎて読めないが、「清如水平如衡(きよきことみずのごとくたいらなることはかりのごとく)」と書かれている。水のように清らかで、秤のように公平という意味である。

書いたのは萩市出身の木戸孝允(桂小五郎)である。

印鑑を見た。良く読めない。

「四面菜香滌気心」の書が掲げられている。菜香亭に来て心身ともすがすがしくなったという意味である。
書いたのは菜香亭の名付け親の井上馨である。1896年菜香亭で還暦祝いを行ったときに揮毫したとのことだ。
また、還暦祝いの際には東京から三遊亭円朝(落語家の中でも名人中の名人)を連れてきて一席披露させたそうだ。

「澄心静慮(ちょうしんせいりょ)」という書が掲げられていた。物事は心を静めて静かに考えるという意味である。

書いたのは山口市出身で元総理の岸信介である。

印鑑を見ると岸だけはよく分かる。

「独坐大雄峰」という書が掲げられていた。雄大な山の前に一人座っているという意味である。

書いたのは田布施町出身の元総理佐藤栄作である。佐藤栄作は菜香亭をよく利用していて、ノーベル平和賞受賞の記念パーティーも菜香亭で開かれたとのことだ。

印鑑を見るとこちらは分かりやすい。
他にも書はあったが、キリが無いので、つぎに移動することにしたのである。
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本日はこの前にもう1本ブログ
なかもとNo7~カンパチのお造りを食べて昔食べていたハマチのお造りを思い出す~
をアップしています。
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もっとも、今いている菜香亭は移築復元されたもので、その大広間で有名政治家の扁額を見ていた。
「我が道を行く」の書が掲げられていた。こちらも字が奇麗だ。
書いたのは島根県出身の元総理の竹下登である。佐藤派の議員として若かりし頃より菜香亭を訪れていたとのことで、この書は総理を辞められた後に書いたものだそうだ。
「敬天愛人(てんをうやまいひとをあいす)」の書が掲げられていた。天を敬い、人を愛するという意味である。
書いたのは西郷隆盛の甥で、元陸軍大佐の西郷従徳(つぐのり)である。
佐藤栄作と田中角栄が一緒に映っている写真である。佐藤栄作にお酌をしているのが菜香亭5代目主人の齋藤清子さん、通称、おごうさんである。
大広間の上の間に移動した。
「江山豁如(こうざんかつじょ)」の書が掲げられていた。山野が開けて眺めが良いという意味である。
書いたのは萩市出身の元総理で陸軍元帥の山形有朋である。
こちらは「一家天地自春風(いっかのてんちおのずからしゅんぷう)」の書が掲げられていた。みんなが一つの家族のようになったらおのずと春風が吹くという意味である。
書いたのは光市出身の初代総理である伊藤博文である。
印鑑をみた。あまり色褪せていないので保存状態が良い。「売ったらいくらするのだろう」と親しい友人に言うと「出た、妖怪ゲセワセワ(https://gyo-nakamura.seesaa.net/article/202209article_31.html)」と言われた。
大広間の上の間にある大木である。
「快作楽(かいをたのしみとなす)」の書が掲げられていた。何事も気持ち次第で喜びとなるという意味である。
書いたのは公家で元総理の三条実美である。
達筆すぎて読めないが、「清如水平如衡(きよきことみずのごとくたいらなることはかりのごとく)」と書かれている。水のように清らかで、秤のように公平という意味である。
書いたのは萩市出身の木戸孝允(桂小五郎)である。
印鑑を見た。良く読めない。
「四面菜香滌気心」の書が掲げられている。菜香亭に来て心身ともすがすがしくなったという意味である。
書いたのは菜香亭の名付け親の井上馨である。1896年菜香亭で還暦祝いを行ったときに揮毫したとのことだ。
また、還暦祝いの際には東京から三遊亭円朝(落語家の中でも名人中の名人)を連れてきて一席披露させたそうだ。
「澄心静慮(ちょうしんせいりょ)」という書が掲げられていた。物事は心を静めて静かに考えるという意味である。
書いたのは山口市出身で元総理の岸信介である。
印鑑を見ると岸だけはよく分かる。
「独坐大雄峰」という書が掲げられていた。雄大な山の前に一人座っているという意味である。
書いたのは田布施町出身の元総理佐藤栄作である。佐藤栄作は菜香亭をよく利用していて、ノーベル平和賞受賞の記念パーティーも菜香亭で開かれたとのことだ。
印鑑を見るとこちらは分かりやすい。
他にも書はあったが、キリが無いので、つぎに移動することにしたのである。
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