2021四国旅行記7日目その6~坊っちゃん列車に乗って三津浜に三津浜焼きを食べに行きたい~
子規堂を訪れてから正宗寺の横にあるお墓の方に来ていた。
ここにも正岡子規関連のものがあるからである。

こちらは子規の埋髪塔である。1904年(明治37年)、正宗寺16世住職によって子規の三回忌の際に、正宗寺境内にある正岡家のお墓の横に式の遺髪を埋葬し、埋髪塔を建立した。
なお、子規の横顔と文字は下村為山(しもむらいざん)が書いたとのこと。

こちらは内藤鳴雪(ないとうめいせつ)の髭塔である。1928年(昭和3年)、同じく、正宗寺16世住職によって鳴雪の三回忌の際に建立された。

どちらも愛媛県の記念物・史跡に指定されている。

子規堂の前に戻って来た。

そして、坊ちゃん列車に乗ることにした。

夏目漱石の銅像の前には、
子規が乗り
漱石が乗り
三津に行き
道後に行きし
汽車か この汽車
という歌碑がある。作者は越智水草(おちすいそう)という方で、松山子規会長を務めた方だそうだ。

この坊ちゃん列車は松山三津浜間を走ったものであり、夏目漱石の「坊っちゃん」では、マッチ箱のような汽車だ」といわれている。

私は、昔、中村雅俊主演の坊っちゃんを見たことがある。確か、その時のマドンナ役は松坂慶子だったような気がする。そのときに乗っていた列車がこれだったのだろうと思い出した。

汽車の中はこんな感じである。横幅が狭い。プーケットで乗ったトゥクトゥクよりも少し広いという感じか。

上には昭和40年12月に伊予鉄道から寄贈を受けた文書である。
他にも、

降る雪や
明治は遠く
なりにけり
という中村草田男の有名な俳句が掲げられていた。中村草田男は幼少期に松山市に住み、一時東京に住んでいたが、その後、松山に戻り松山高等学校に入学し、再び東京に移転した。また、母と叔母の紹介で高浜虚子に会い、師事するようになった。

こちらは夏目漱石と正岡子規の写真である。
後ろから坊っちゃん列車を降りると句碑があった。

子規堂の
小窓開けあり
葉鶏頭(はげいとう)
葉鶏頭とは秋の季語で、葉が鶏頭に似ていて黄色や紅色・紫色の斑紋を持つという意味である。作者は元愛媛県庁職員の堀内雄之(ほりうちゆうし)である。
さすが、松山、一般人?の俳句のレベルが高い。

こちらは水野廣徳の歌碑である。
世にこびず
人におもねらず
我はわが
正しいと思ふ
道を進まむ
と書かれている。

水野廣徳は松山生まれの海軍大佐で軍国主義から平和主義に転じたそうだ。

せっかくなので、記念写真を撮って貰った。

当時の松山駅の看板だろう。次の駅が三津浜である。
ああ、これに乗って三津浜焼きと食べてみたいと思った。
ちなみに、先ほどから三津浜焼き、三津浜焼きと言っているが、三津浜焼きとは、薄く伸ばした生地(台)の上に、そばや野菜を重ねて焼いたものだそうだ。

一見すると広島のお好み焼きに似ている感じがする。
この近くに三津浜焼きのお店があるか真剣に探そうかと思ったのである。
ここにも正岡子規関連のものがあるからである。
こちらは子規の埋髪塔である。1904年(明治37年)、正宗寺16世住職によって子規の三回忌の際に、正宗寺境内にある正岡家のお墓の横に式の遺髪を埋葬し、埋髪塔を建立した。
なお、子規の横顔と文字は下村為山(しもむらいざん)が書いたとのこと。
こちらは内藤鳴雪(ないとうめいせつ)の髭塔である。1928年(昭和3年)、同じく、正宗寺16世住職によって鳴雪の三回忌の際に建立された。
どちらも愛媛県の記念物・史跡に指定されている。
子規堂の前に戻って来た。
そして、坊ちゃん列車に乗ることにした。
夏目漱石の銅像の前には、
子規が乗り
漱石が乗り
三津に行き
道後に行きし
汽車か この汽車
という歌碑がある。作者は越智水草(おちすいそう)という方で、松山子規会長を務めた方だそうだ。
この坊ちゃん列車は松山三津浜間を走ったものであり、夏目漱石の「坊っちゃん」では、マッチ箱のような汽車だ」といわれている。
私は、昔、中村雅俊主演の坊っちゃんを見たことがある。確か、その時のマドンナ役は松坂慶子だったような気がする。そのときに乗っていた列車がこれだったのだろうと思い出した。
汽車の中はこんな感じである。横幅が狭い。プーケットで乗ったトゥクトゥクよりも少し広いという感じか。
上には昭和40年12月に伊予鉄道から寄贈を受けた文書である。
他にも、
降る雪や
明治は遠く
なりにけり
という中村草田男の有名な俳句が掲げられていた。中村草田男は幼少期に松山市に住み、一時東京に住んでいたが、その後、松山に戻り松山高等学校に入学し、再び東京に移転した。また、母と叔母の紹介で高浜虚子に会い、師事するようになった。
こちらは夏目漱石と正岡子規の写真である。
後ろから坊っちゃん列車を降りると句碑があった。
子規堂の
小窓開けあり
葉鶏頭(はげいとう)
葉鶏頭とは秋の季語で、葉が鶏頭に似ていて黄色や紅色・紫色の斑紋を持つという意味である。作者は元愛媛県庁職員の堀内雄之(ほりうちゆうし)である。
さすが、松山、一般人?の俳句のレベルが高い。
こちらは水野廣徳の歌碑である。
世にこびず
人におもねらず
我はわが
正しいと思ふ
道を進まむ
と書かれている。
水野廣徳は松山生まれの海軍大佐で軍国主義から平和主義に転じたそうだ。
せっかくなので、記念写真を撮って貰った。
当時の松山駅の看板だろう。次の駅が三津浜である。
ああ、これに乗って三津浜焼きと食べてみたいと思った。
ちなみに、先ほどから三津浜焼き、三津浜焼きと言っているが、三津浜焼きとは、薄く伸ばした生地(台)の上に、そばや野菜を重ねて焼いたものだそうだ。
一見すると広島のお好み焼きに似ている感じがする。
この近くに三津浜焼きのお店があるか真剣に探そうかと思ったのである。
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